駒敏郎
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京都市西陣生まれ[1]。京都三中卒業。京都府立医科大学を芝居に凝って中退[1]。
身長181cm、非常勤講師を務めていた京都光華女子大学では、「あしなが先生」と呼ばれていた。
「どうげきペチカ」という児童劇団を主宰しており、台本・演出の傍ら、1952年よりドラマの脚本を書きはじめる[1]。NHKラジオドラマ脚本「秋風の検校」は美也古豆本から刊行され、現在でも古本市場で入手できる。NHKテレビ「日本の歴史」を担当し、本格的に歴史の勉強を開始[1]。1962年より著述を業とし[1]、地誌、歴史、文学などについて執筆する。
NHK京都放送局に勤務していた。
「頼政が太刀についた鵺の血を洗ったと言われる鵺池の所在は明らかでない。」と放送したところ、視聴者から「放送局の窓を開ければ見えます。」と指摘された。郁芳通、竹屋町通、智恵光院通、美福通に囲まれた場所に位置する二条児童公園には、平家物語の伝説である源頼政の鵺退治のあと、頼政が太刀についた鵺の血を洗ったといわれる鵺池がある。
1949年から4年続けて、比叡山横川へ、主催していた児童劇団の小、中、高校生をつれて3、4泊の合宿をしたことがある。
毎日放送(MBS)製作・近畿日本鉄道提供で1959年3月6日から2004年3月27日まで、45年間放送された教養系紀行番組『真珠の小箱』のプロデューサーを務めた。
1982年から京都光華女子大学で非常勤講師として京都学を講じた[1]。初出講は1982年4月23日。少なくとも6年間出講している。毎年、「体験的京都及び京都人観」というテーマでレポートを提出させていた。授業に錦弘庵(現在は閉業)という菓匠の主人を招いて学生たちがおはぎを作る実習授業をやらせていた。この授業は好評で短大部の学生もモグリで出席していた。通勤にはバスを使用していたらしいが、大学正門前ではなく、1つか2つ手前のバス停で降車していた節がある。それは混雑を避ける目的や生徒と出会うのを嫌ったためかもしれない。
住所は京都市中京区西ノ京御輿岡町から京都市左京区南禅寺北ノ坊町に移った。
1994年、京都市芸術功労賞を受賞。