高安朝崇

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全名 向文晃(唐名)
身位 親方
出生 (1816-03-02) 1816年3月2日
琉球王国
(現・日本の旗 日本 沖縄県
配偶者 思加那(向氏 喜屋武里之子朝章の娘)
高安 朝崇
たかやす ちょうすう
向氏高安殿内 十世(第二尚氏王朝 分家士族)

全名 向文晃(唐名)
身位 親方
出生 (1816-03-02) 1816年3月2日
琉球王国
(現・日本の旗 日本 沖縄県
配偶者 思加那(向氏 喜屋武里之子朝章の娘)
子女 別記
父親 高安朝範
母親 真鶴(向氏 當間親方朝祥の娘)
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高安 朝崇(たかやす ちょうすう、嘉慶21年(1816年)-不明)は、琉球王国第二尚氏王統分家士族である高安殿内の十世。唐名向文晃童名は松金。

朝範とともに、1858年に士族の最高位である親方まで陞り詰めた。

琉球藩となって以後、東京琉球館役所に勤務し、明治政府との交渉役として貢献した。当時東京にて朝崇が記述していた日記「在勤中日記」(尚家文書)は国宝に指定されている。

その他、19代国王 尚泰王王世子である尚典紫冠大親職などの職を歴任した。


尚育王世代

  • 伊江王子朝直が薩摩に赴く際に小姓となる
同7月5日:那覇から出航し、同月8日 鹿児島に到着し、全ての公務を終了させる
同8月28日:お暇と品を賜る
同10月1日:帰琉する
  • 道光19年(1839年)己亥(つちのとい)12月1日:黄冠に叙される
  • 同20年(1840年)庚子(かのえね)11月5日:與那覇按司加那志大親職に任ぜられ、當座敷に叙される
  • 同21年(1841年)辛丑(かのとうし)6月1日:下庫理當職に任ぜられる
  • 同27年(1847年)丁未(ひのとひつじ)12月1日:取納奉行職に任ぜられ、座敷に叙される

尚泰王世代

  • 咸豊3年(1853年)癸丑(みずのとうし)2月18日:高奉行職に任ぜられる
  • 同4年(1854年)甲寅(きのえとら)5月3日:御書院當職に転任となる
  • 同年9月5日:御掛物並び御額御仕立掛職に任ぜられる ※本職と兼務する
  • 同5年(1855年)乙卯(きのとう)11月2日:御用意吟味役職に転任となる
  • 同年12月1日:南風之平等惣與頭職に任ぜられる。 ※本職と兼務する
  • 同6年(1856年)丙辰(ひのえたつ)1月19日:北谷間切嘉手納地頭職に任ぜられる
  • 同7年(1857年)丁巳(ひのとみ)3月3日:御取帯吟味役職に転任となる
  • 同年3月17日:冠船御用意方主取加増職に任ぜられる ※本職と兼務する
  • 同8年(1858年)戊午(つちのえうま)3月1日:尚泰王の御婚礼主取職に任ぜられる ※本職と兼務する
  • 同年11月6日:平等之側職に転任となる
  • 同年12月1日:紫冠に陛り、高奉行職に任ぜられる
  • 同9年(1859年)己未(つちのとひつじ)12月1日:南風之平等惣與地頭職に任ぜられる
  • 同10年(1860年)庚申(かのえさる)5月15日:聞得大君加那志紫冠大親職に任ぜられる
  • 同年12月1日:南風之平等惣横目職に任ぜられる
  • 同治元年(1862年)壬戌(みずのえいぬ)6月1日:南風之平等学校奉行職に任ぜられる
  • 同3年(1864年)甲子(きのえね)12月6日:勘定奉行職に任ぜられる
  • 同年12月14日:伊江王子朝直の大親職に任ぜられる。勘定奉行と聞得大君御殿大親を兼務する
  • 同4年(1865年)乙丑(きのとうし)9月9日:来年の冊封使来訪に向けて問安使に任ぜられる
  • 同9年(1870年)庚午(かのえうま)12月1日:御系図奉行職、南風之平等惣與頭職に任ぜられる ※本職と兼務する
  • 同10年(1871年)辛未(かのとひつじ)8月25日:父の家統を継いで、豊見城間切高安地頭職を任ぜられる
  • 同11年(1872年)壬申(みずのえさる)3月23日:給地御物奉行職に任ぜられる
  • 同13年(1874)甲戌(きのえいぬ)2月1日:来年の天長節と併せて来来年頭に紀元節のために慶賀使となる
  • 光緒元年(1875年)乙亥(きのとい)3月9日:御書翰を領し、品と餞宴を受ける
  • 同年3月15日:那覇から出航し、同月18日 鹿児島に到着する
  • 翌16日:従二位様、従三位様、御前様に進上物を型通り差し上げ、諸式を成し遂げた
  • 同月25日:鹿児島を出航し、同月28日 大阪に到着する
  • 同年4月5日:大阪を出航し、同月9日 東京に到着し、在留中に国王より品(焼酎一壺)を賜る。通例の諸式の公務を全て終了させる
  • 翌年(1876年)丙子(ひのえね)4月:帰国しようとしていた際に、法司官の毛氏池城親方安規が派遣されることとなり、東京にて明治政府との交渉に尽力した
  • (数か月後の)同年21日:横浜を出航し、同月26日 神戸港、同月30日 鹿児島に到着する
  • 同日:従二位様・従三位様より品を賜る
  • 同年10月5日:鹿児島を出航し、同月7日 那覇に到着、首里に登り、復命する
  • 光緒2年(1876年)丙子(ひのえね)12月1日:大與奉行職に任ぜられる
  • 同3年(1877年)丁丑(ひのとうし)5月11日:王世子の中城王子尚典の紫冠大親職に転任する

系譜

参考文献

関連項目

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