高安朝正
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 高安 朝正 たかやす ちょうせい | |
|---|---|
| 向氏高安殿内 十四世(第二尚氏王朝 分家士族) | |
|
高安家 提供 | |
|
| |
| 出生 |
1916年 沖縄県 首里市 当蔵町 |
| 死去 |
1946年6月21日 大阪府 大阪市 |
| 配偶者 | 神山俊子(神山政精の娘) |
| 子女 |
長男:高安朝之 長女:高安葉子 |
| 父親 | 高安玉兎(向氏高安殿内十三世) |
| 母親 | 高安よし(向氏高安殿内十二世 朝常の娘) |
高安 朝正(たかやす ちょうせい、大正5年(1916年)-昭和21年(1946年))は、琉球王国第二尚氏王統の分家士族である高安殿内の十四世。第二尚氏王朝 17代国王 尚灝の玄孫。筆頭格御殿あった伊江御殿十四世 伊江朝助(男爵)とは再従兄弟にあたる。早稲田大学の文学部を卒業後、朝日新聞社の記者として活躍するが、30歳の若さで早世した。妻の俊子は高嶺御殿十一世高嶺朝教の孫であり、神山政良、尚八重子(19代国王であった尚泰の王女)の姪にあたる。
1916年、首里市当蔵にて生まれる。後の妻 俊子とは当蔵にて幼馴染であった。
早稲田大学の文学部に在学の際には、東京都中野区上ノ原町にて、伊江朝忠、伊江朝顕、徳田安周らと下宿をしていた。
当時は伊江朝助男爵邸(伊江御殿)が徒歩7分ほどのところ(高根町のちに世田谷区成城)にあり、よく出入りしていたと伝わる。特に伊江御殿の大掃除の際には、女中が下宿先まで押しかけ、手伝いをしていた。
朝正らの愛用していた質屋が伊江御殿の真裏にあり、後に徳田は「高安兄と共に質屋ののれんをくぐるスリルは格別なものがあった」と語っている。
また、この時期、朝正と徳田は伊江御殿の近くで喫茶店を営んでいる。(喫茶店「八重子」)
本の虫であった朝正はここでも裏手でコタツに入りながら、アランの「幸福論」など絶えず読書をしていた。
この喫茶店を営んでいることは徳田と互いに沖縄の両親には秘密にしていた。しかし、ほとんど学校には行かず、試験だけを受ける生活を続けていたため、出入りの魚屋の密告により伊江男爵の耳に入ってしまい、お互いに双方の両親から"悪友"のレッテルが貼られたという。
早大文学部を卒業後、朝日新聞社東京本社の社会部の記者となった。
その後、大阪本社、奈良支社(長女 葉子誕生)、鳥取支社(長男 朝之誕生)、再度大阪本社と転勤する。大阪支社時代には母よし、妻俊子、弟朝輝、妹愛子などと過ごす。しかし1946年、将来を嘱望されながら、早世する。