高安玉兎
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市長としての功績
首里市長時代には、当時首里市と那覇市を繋いでいた新垣バスの買収に尽力した。
沖縄電気(株)による電車が主流であったが、バスの台頭や昭和初期の脱線事故により死傷者が発生したことなどがあり、1933年には沖縄電気による電車事業からの撤退がなされた。 そのため、バスは市民の公共交通機関としての利便性・財源として重要視されていた。
(当時首里市から那覇市へ通勤通学する人々は800人余りであり、また那覇市から首里市およびその中間に所在する学校に通学する生徒や教員は760名にも達していた)
当時、沖縄の自動車産業を独占状態であった新垣自動車に対して、市議会では「多少高価でも買収すべし」との見解で議会が一致し、新垣自動車の代表 金城氏との交渉が本格的に始まった。 買収に際し、交渉委員として玉城尚秀氏(第二尚氏王朝19代国王 尚泰 五男)、山口房良氏など6名が当時交渉にあたっていたが、交渉は難航した。 そこで玉兎が直接、金城氏と交渉を重ねることとなる。
争点となったのは純利益であった。 新垣側は最初の1年間の純利益を3万円と見積もり、その5年分の純利益を営業権譲渡価格として首里市に提示した。 それに対して玉兎は1年間の純利益を1万2,800円とし、その3年分を譲渡金額として交渉を行った。 長期間の交渉の末、1年間における純利益の試算ならびにその期間に関しても合意形成がなされ、無事玉兎の施政下で「首里バス」が導入されることとなった。