高少逸
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長慶4年(824年)、侍御史となった。大和9年(835年)、弟の高元裕の罪に連座して、賛善大夫に左遷された。左司郎中に累進した。開成3年(838年)、諫議大夫に転じた。開成4年(839年)、侍講学士となった。会昌5年(845年)、給事中となった[1][2]。大中10年(856年)、少逸は検校礼部尚書・華州刺史・潼関防禦・鎮国軍使に転じた[3]。ある宦官が硤石駅の駅吏から提供された餅が悪かったとして、駅吏を責めて鞭打った。少逸は餅に封をして奏聞した。宣宗は怒って宦官を召し出して「山谷のあいだでよい餅を用意できようか」といって責めた。少逸は入朝して左散騎常侍・工部尚書となった。兵部尚書として致仕し、死去した[1][2]。