加賀大聖寺藩士、高山慈吾の長男。1878年(明治11年)東京大学化学科を卒業して理学士の称号を得、理科大学助教授、農商務省権少技長四等技師、農商務省総務局分拆課長などを歴任。耐火材料の研究に従事した。
1889年(明治22年)ドイツに渡り、工芸大学に入り地質学を研究し、1891年(明治24年)帰朝し工学博士の学位を授かる。のち、農商務技師、東京工業学校嘱託教授、製鉄所技師審判官などを経て、1900年(明治33年)東京工業試験所初代所長となった。日本化学会、工業化学会会長。
墓所は雑司が谷霊園1-4a-2-13にあったが、無縁撤去となった。