高岡電報電話局
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高岡電報電話局は1949年(昭和24年)6月1日に高岡電話局と高岡電信局を統合して開設された[2][3]。その前身は1947年(昭和22年)12月11日設置の高岡電話局と1949年(昭和24年)2月21日設置の高岡電信局であり、いずれもそれまで高岡郵便局が担ってきた電気通信業務を承継したものであった[2][4][5][6]。開設以来、その所在地は高岡市御馬出町であったが、その局舎は狭隘であり電話交換台の増設が困難で加入者増加に対応し得ないため、高岡市及び電々公社はその移転のため、同市利屋町(当時)の聖安寺へ敷地の明渡しを要請し、1958年(昭和33年)4月に同寺より3,778平米の敷地を取得した[7][8][9][10]。1960年(昭和35年)3月25日に起工式を行い[11]、1962年(昭和37年)7月15日に鉄筋地下一階、地上四階の局舎が完成した[8][10]。同時に高岡電報電話局及び伏木電報電話局管内の電話交換方式はクロスバー自動交換式となり、伏木電報電話局は高岡電報電話局の伏木分局へ改組され、また磁石式交換を行っていた立野郵便局の電話交換事務を承継した[10][12][13][14][15]。この統合以降も高岡市においては石堤郵便局が磁石式電話交換を行っていたが、1965年(昭和40年)3月16日にその事務を承継した[15][16]。1966年(昭和41年)2月10日に高岡市へ吸収合併された旧西礪波郡戸出町においては、1967年(昭和42年)3月25日に戸出郵便局から電話交換及び和文電報配達事務を承継して、戸出電報電話局が設置され、戸出駅前通りに局舎が新築されたが、1971年(昭和46年)12月1日にこれを廃止し、以降同報話局の業務は高岡電報電話局が承継した[17][18][19][20][21]。1985年(昭和60年)4月1日の民営化後もしばらく高岡電報電話局の名称が用いられたが[22]、1989年(平成元年)4月1日より全国的に電話局及び電報電話局は支店、あるいは営業所と改称された[23]。
1964年(昭和39年)当時は内部機構として運用部及び施設部の二部を有し、運用部の下に電報課、第一電話運用課、第二電話運用課及び自動運用課、施設部の下に第一線路宅内課、第二線路宅内課、第一機械課、第二機械課、電信機械課、試験課及び電力課、また部に属しない課として加入課、料金課、計理課、労務厚生課及び庶務課を有した[1]。また、伏木分局の下には伏木分局業務課及び伏木分局施設課があった[1]。

