高島友武
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薩摩藩士・吉井友実の息子として生まれ、親戚である拓殖務大臣・陸軍大臣を務めた高島鞆之助の養嗣子となる。1888年(明治21年)7月28日に陸軍士官学校(旧10期)を卒業し、翌年の6月27日に陸軍歩兵少尉に任官する。歩兵将校として累進し、1905年(明治38年)5月2日に歩兵第6連隊長に就任、日露戦争に従軍する。この時の階級は陸軍歩兵中佐。その後1908年(明治41年)12月、歩兵大佐・歩兵第8連隊長。近衛歩兵第1連隊長、近衛歩兵第2連隊長を経て、1914年(大正3年)5月11日、陸軍少将・歩兵第19旅団長。
1918年(大正7年)7月24日、陸軍中将に進み立花小一郎の後を受けて第19師団長に就任する。第19師団は日露戦争後に併合した朝鮮の守備を目的に1915年(大正4年)12月に羅南で編制された新設師団で、高島は第2代師団長である。師団長在任中の1920年(大正9年)12月25日に勲一等旭日大綬章を受章、翌年の1921年(大正10年)7月20日予備役となる。
甥であり養嗣子でもある高島友春が離籍していたため、1943年(昭和18年)の死去の翌日5月25日に高島家は爵位を返上した。
栄典
- 位階
- 1902年(明治35年)6月20日 - 正五位[2]
- 1914年(大正3年)4月10日 - 従四位[3]
- 1918年(大正7年)8月30日 - 正四位[4]
- 1921年(大正10年)8月19日 - 従三位[5]
- 1940年(昭和15年)9月16日 - 従二位[6]
- 勲章等
| 受章年 | 略綬 | 勲章名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1895年(明治28年)10月10日 | 功五級金鵄勲章[7] | ||
| 1895年(明治28年)10月10日 | 勲六等瑞宝章[7] | ||
| 1901年(明治34年)11月30日 | 勲五等瑞宝章[8] | ||
| 1905年(明治38年)11月30日 | 勲四等瑞宝章[9] | ||
| 1918年(大正7年)5月25日 | 勲二等瑞宝章[10] | ||
| 1920年(大正9年)12月25日 | 勲一等旭日大綬章[11] | ||
| 1940年(昭和15年)8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
- 外国勲章佩用允許
| 受章年 | 国籍 | 略綬 | 勲章名 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1918年(大正7年)7月15日 | 三等文虎勲章[13] |
