高昋 From Wikipedia, the free encyclopedia 高 昋(こう けい、生没年不詳)は、北魏の人物。字は明珍[1]。本貫は渤海郡蓨県[2]。 高䐗児の子として生まれた。侍御史を初任とした。奉朝請・員外散騎侍郎の位を受けた。延昌年間、叔父の高徽とともに西域への使節として赴いた。帰国途中に河州で反乱軍の包囲攻撃を受け、城が陥落すると殺害された。太昌元年(532年)、使持節・都督冀滄二州諸軍事・征東将軍・冀州刺史の位を追贈された。永熙年間、さらに侍中・都督青徐光三州諸軍事・驃騎大将軍・儀同三司・青州刺史の位を贈られた。諡は文景といった[1]。 子女 高永楽[1] 高長弼[3] 脚注 1 2 3 魏書 1974, p. 754. ↑ 魏書 1974, p. 751. ↑ 『魏書』は諱を「弼」とする。 参考文献 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3。 伝記資料 『魏書』巻32 列伝第20 Related Articles