高長弼

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高 長弼[1](こう ちょうひつ、生没年不詳)は、北斉皇族。小名は阿伽。高永楽の弟にあたる[2][3]

高昋の子として生まれた[4]。その性質は屈強頑健で、城市に出入りしては、路上で人を殴打するのを好んだ。当時の人はかれのことを阿伽郎君と呼んだ[2][3]。東魏の武定年間、長弼は安西将軍・営州刺史となり、安陵県開国男に封じられた[4]天保元年(550年)、北斉が建国されると、長弼は宗室として広武王に封じられた[5][6][7]。ときに天恩道人という者があり、性質は凶暴で、街の店舗を横行した。後に長弼の仲間に入り、闘争を専らにした。文宣帝がかれらを捕らえて刑事裁判にかけると、天恩道人の仲間十数人は棄市の刑を受け、長弼は鞭100の刑を受けた。ほどなく長弼は南営州刺史となったが、理由も判然としないまま、州で離反して突厥に亡命した。晩年のことは知られていない[2][3]

脚注

参考文献

伝記資料

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