高杉敬二
日本の実業家 (1940-)
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経歴
1964年から1966年頃までファッションモデルとしての経験をもつ。その後モデル事務所のマネジャーをしていたが1967年に日本テレビ「11PM」にカバガールを探し手掛けて出演させたのがきっかけでボンド企画を設立する[2]。
株式会社ボンド企画社長として、松崎しげるのマネージメントを担当したのを始め、岡田奈々や杏里、松本伊代など、多くのタレントを育てた。1976年の映画「青春の構図」(松竹)では制作者の一人として企画を担当した。また、芸能プロデューサーの秋元康を使って、「おニャン子クラブ」や「ジャパン女子プロレス」などの企画を仕掛けたのも高杉であると言われる。
同社は1992年(平成4年)に倒産したが、同社に所属していた歌手の本田美奈子とはその後も活動を共にし、新たに設立した株式会社ビーエムアイにおいて、本田がアイドル歌手からミュージカル女優へと転換するのを助けた。2005年(平成17年)に本田が白血病で死亡すると、本田の遺志を継いだ高杉は、NPO法人 『LIVE FOR LIFE』の発起人となり、同法人の活動に従事している。