高杉晋一 From Wikipedia, the free encyclopedia 高杉 晋一(たかすぎしんいち、1892年〈明治25年〉3月1日 - 1978年〈昭和53年〉6月6日)は、日本の実業家。 1965年6月22日、日韓基本条約の調印式が日本の首相公邸で行われた。椎名悦三郎外務大臣、高杉晋一首席代表、李東元外務部長官、金東祚特命全権大使の4人が関係文書に調印した[1]。 1892年3月1日、茨城県鉾田町の高杉健作の子として生まれる。1910年(明治43年)、土浦中学校卒業(岡野保次郎と同期)[2]。第二高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学法学部を卒業。 同年三菱合資銀行部に入社。名古屋支店長を経験し、監査、取締常務を歴任する。1947年(昭和22年)1月、三菱電機社長となる。1956年(昭和31年)11月、三菱電機会長となる。1962年(昭和37年)、同会長を退任。 1964年(昭和39年)12月14日、日韓会談における日本側首席代表の杉道助が死去[3]。1965年(昭和40年)1月7日、高杉は杉の後任に就任。そしてこの日、外務省記者クラブにおいて「日本は朝鮮を支配したが、いいことをしようとした」「創氏改名もいいこと」「搾取とか圧迫とかいうものでない」などと発言した。日韓会談の停滞・破談を恐れた韓国側の要請で、当該発言はオフレコ扱いとされたが、同月10日に『赤旗』が、同月19日に韓国の『東亜日報』が高杉の発言を暴露した[3]。 1965年(昭和40年)6月22日、日本側首席代表として日韓基本条約等に調印[1]。 1969年(昭和44年)、海外経済協力基金総裁に就任。1978年(昭和53年)、86歳で死去。墓所は青山霊園。 栄典 1965年(昭和40年)11月3日 - 勲一等瑞宝章[4] 脚注 1 2 『中日新聞』1965年6月23日付朝刊、1面、「日韓条約・協定に調印」。 ↑ “【土浦一高東進会長挨拶】”. 土浦一高 東進会. 2021年4月13日閲覧。 1 2 梶居佳広. “日韓国交正常化(1965年)と主要紙社説”. 立命館大学. 2025年5月27日閲覧。 ↑ 中野文庫 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧 先代宮崎駒吉 三菱電機社長1947年 - 1956年 次代関義長 先代川井源八 三菱電機会長1956年 - 1962年 次代関義長 典拠管理データベース 全般VIAF国立図書館日本 Related Articles