高村田使
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経歴
桓武朝初頭は右少史を務め、この間の延暦3年(784年)高宮村主から春原連に、翌延暦4年(785年)春原連から高村忌寸へと、一族の真木山と共に続けて改姓している。
延暦10年(791年)大外記に遷り、延暦11年(792年)外従五位下に叙せられる。延暦14年(795年)大学助に遷るが、延暦16年(797年)には大外記に兼帯で復任している。延暦17年(798年)安芸守として地方官に転じ、その後桓武朝末にかけては陰陽頭も務めている。
延暦25年(806年)平城天皇の即位後まもなくみたび大外記に復任して、平城朝前半まで務める。大同5年(810年)従五位上に叙せられた。嵯峨朝に入り、弘仁2年(811年)忌寸から宿禰に改姓する。その後は、皇太子・大伴親王の東宮学士を務めながら、弘仁6年(815年)正五位下、弘仁7年(816年)従四位下と順調に昇進した。
弘仁9年(818年)11月17日卒去。享年76。最終官位は東宮学士従四位下。