高村田使

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高村 田使(たかむら の たづかい)は、平安時代初期の貴族氏姓は高宮村主のち春原高村忌寸、高村宿禰官位従四位下東宮学士

時代 平安時代初期
生誕 天平15年(743年
概要 凡例高村田使, 時代 ...
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出自

高宮氏(高宮村主)は前漢景帝の子である魯恭王の後裔を称した渡来氏族[1]大和国葛上郡高宮郷(現在の奈良県御所市西佐味付近か)を本拠とした[2]

経歴

桓武朝初頭は右少史を務め、この間の延暦3年(784年)高宮村主から春原連に、翌延暦4年(785年)春原連から高村忌寸へと、一族の真木山と共に続けて改姓している。

延暦10年(791年大外記に遷り、延暦11年(792年従五位下に叙せられる。延暦14年(795年大学助に遷るが、延暦16年(797年)には大外記に兼帯で復任している。延暦17年(798年安芸守として地方官に転じ、その後桓武朝末にかけては陰陽頭も務めている。

延暦25年(806年平城天皇の即位後まもなくみたび大外記に復任して、平城朝前半まで務める。大同5年(810年)従五位上に叙せられた。嵯峨朝に入り、弘仁2年(811年)忌寸から宿禰に改姓する。その後は、皇太子大伴親王の東宮学士を務めながら、弘仁6年(815年正五位下、弘仁7年(816年)従四位下と順調に昇進した。

弘仁9年(818年)11月17日卒去。享年76。最終官位は東宮学士従四位下。

官歴

注記のないものは『六国史』による。

脚注

参考文献

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