高梨政頼、あるいは高梨清秀(政頼の叔父、兄弟か)の子として誕生。
高梨氏は信濃国北部の有力国人であったが、政頼の代には甲斐武田氏の信濃進出に押され越後国長尾氏(上杉氏)に従い、従属色を強めていた。秀政は第四次川中島の戦いに参戦し活躍したが、高梨氏の旧領回復はならなかった。
政頼の後半生に不明な部分が多いため、秀政の動静も判然としないが、後に上杉氏から離反したらしく遠江国高天神城の小笠原信興(高天神小笠原氏)に従っている。元亀3年(1572年)12月22日の三方ヶ原の戦い[注釈 1]で武田氏と戦ったが敗れ、戦死した。享年51[2]。