高橋幸八郎
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福井県今立郡河和田村(現在の鯖江市河和田町)の地主の家に生まれる。1929年、第一高等学校文科甲類に進学[2]し、1932年に卒業[3]。同年、東京帝国大学文学部西洋史学科入学。同期入学に林健太郎、秀村欣二らがいる[4]。1935年に卒業[5]し、大学院に進学する[6]。東京市立上野中学校教諭[7]等を経て、1941年に京城帝国大学助教授に任じられる[8]。1947年東京大学社会科学研究所赴任。1950年5月に助教授、1952年6月に教授となる[9]。その間、1952年から1953年にフランス政府招聘客員教授も務めた。1973年に退任[9]し、名誉教授となる[1]。 また、1943年12月に、家名の八郎右衛門を襲名する[10]。
人物
卒業論文「英仏協商の展開(1904-1906年)」では国際関係史を主題に選び実証的な研究を行うが、のちに理論的な側面に関心を強め、社会経済史へと方向を転回していく。
マルク・ブロックやジョルジュ・ルフェーヴルと手紙を通じて親交を深め、とりわけ後者からは長きに渡って薫陶を受ける[11]。
英語圏で展開された「封建制から資本主義への移行論争(ドッブ・スウィージー論争)」[注釈 1]において日本の経済史家の立場から論陣を張り、イギリス史の大塚久雄と並んで戦後歴史学の立役者とされる。
後半生は国際歴史学会理事、土地制度史学会代表理事などを務め、歴史家相互の対話促進や後進の育成に尽力した。
主な著作
参照文献
参考文献
- 「高橋幸八郎教授略歴,業績目録 (経済史研究とその国際交流--社会科学研究所25年間の回顧とともに)」東京大学社会科学研究所 / 東京大学社会科学研究所 編「社會科學研究」24(2) 1972年 p188~199
- 東京大学百年史編集委員会『東京大学百年史 資料三』東京大学、1986年。