高橋是清自伝
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以下は1936年1月付けの高橋の序文。
私は最初自分の伝記を公刊するの考えは少しもなかった。ただ子孫に残すために、その概略を綴っておきたいと、数年前から暇を見ては、日記、手帳、往復文書など諸般の資料を整理して来た。
何しろ、維新前に遡ってからの諸資料であるから、誠に多種多様でかつ広汎なものである。それを順々に整理して、資料になりそうなものはすべて上塚君[注 1]に渡しておいた、すると上塚君はそれを分類し、各資料について私に話を聞きに来る、それに対して私は記憶を呼び起こして口述する、上塚君はそれを筆記し、清書して持って来る。それをまた私が補正するというようなわけで..(後略)
出版経過
内容
中公文庫の上巻(1-10章)は、いろんな仕事をした7転8起の経歴。下巻(11-17章)は、日本銀行に入って自らの金融力を育てていく経過と言える[要出典]。
- 1 私の生い立ち時代
- 1854年 - (0歳)[注 2] 絵師の子に生まれて4日後、足軽、高橋家の養子になった。
- 6 養牧業 - 翻訳稼ぎ - 相場
- 1877年 - (22歳)だまされて乳牛事業に投資し借金。翻訳をして生計。銀の先物取引でまた損害[注 4]。
- 8 欧米視察の旅
- 1885年 - (31歳)欧米を視察し、アメリカの特許制度を学ぶ。特許局長となり、特許条例を改正。
- 10 ペルー銀山の失敗とその後の落魄時代
- 1888年 - (34歳)官を退職し、ペルー銀山に投資。しかし掘り尽くされた廃坑と判明し、16000円の負債。
- 11 実業界への転身とその修行時代
- 1892年 - (37歳)日本銀行に入る。最初は正社員でなく日銀本店の建築現場の事務主任。