高津氏
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『地下家伝』によると、武士である鷹司紀伊守藤原冬頼(冬良とも)の子であった冬貞が高津姓を名乗り、のちに時貞と改めた[2]。
武士で鷹司を称したのは、鷹司家の庶流を称し、戦国時代に美濃国で活動した美濃鷹司氏がある[3]。渡瀬城主としての鷹司氏は天文17年(1548年)の牧野合戦で滅亡したが、子孫はその後も生存していた[4]。また『芸藩通志』には、安芸国高塚城を本拠とした「鷹司大膳」というものがいたと記されている[5]。ただし江戸時代初期に紀伊守を称した冬頼の系譜関係は『地下家伝』に記されていない。
時貞は寛永10年(1633年)の生まれで、延宝6年(1678年)に従六位下主殿助となっている[2]。『地下家伝』ではその後も醍醐家の諸大夫を代々務めたとされ、幕末の嘉永7年(1854年)に正五位下に叙された求遠までが掲載されている[2]。