高滝藩

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高滝藩(たかたきはん)は、上総国市原郡(現在の千葉県市原市)南部の高滝を居所として、江戸時代前期に短期間存在した。1683年、板倉氏2万石の藩として成立したが、1699年に備中国庭瀬藩に転出したため、2代約15年で廃藩となった。「高滝」は養老川上流部を指す広域地名であり[注釈 1]、陣屋は大和田村(市原市大和田)に置かれたとされるが[3]、独立した陣屋はなかったという説もある[4]

高滝藩の位置(千葉県内)
千葉
千葉
五井
五井
木更津
木更津
高滝(大和田)
高滝
(大和田)
関連地図(千葉県)[注釈 2]

初代藩主となった板倉重宣は、徳川家綱のもとで老中を務めた板倉重種の甥である[注釈 3]。重種は天和元年(1681年)、新将軍徳川綱吉の勘気を蒙り、信濃坂木藩5万石に減転封のうえ蟄居処分を受けた[7][8]

天和3年(1683年)5月18日[7][6]、重種の隠居が認められた[8]。重種は領地返上を申し出ていたが、板倉家代々の功績[注釈 4]を考慮して5万石は安堵された[7][8]。重種はこのうち3万石を嫡男の重寛に、残り2万石を甥の重宣に相続させた[6][8]。重宣に分与された所領は、上総国市原郡および信濃国伊那郡佐久郡の2か国3郡に散在していた[6][9][8]。重宣は上総国高滝を居所を定め[6]、ここに高滝藩が立藩する。

しかし翌貞享元年(1684年)8月21日、重宣は21歳の若さで死去した[6][10]末期養子として、親族の丹波園部藩小出家から重高が迎えられ[注釈 5]、跡を継いだ[12][13]

元禄12年(1699年)2月4日、板倉重高は領地を備中国賀陽都宇小田3郡内に移され、賀陽郡庭瀬を居所とした(庭瀬藩[14]。以後高滝を居所とする大名は現れず、高滝藩は15年あまりで消滅した。

なお、板倉家は備中庭瀬藩主として定着し、幕末・廃藩置県まで続くことになる。

歴代藩主

板倉家

譜代。2万石。

  1. 板倉重宣
  2. 板倉重高

領地

脚注

参考文献

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