高滝藩
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関連地図(千葉県)[注釈 2]
初代藩主となった板倉重宣は、徳川家綱のもとで老中を務めた板倉重種の甥である[注釈 3]。重種は天和元年(1681年)、新将軍徳川綱吉の勘気を蒙り、信濃坂木藩5万石に減転封のうえ蟄居処分を受けた[7][8]。
天和3年(1683年)5月18日[7][6]、重種の隠居が認められた[8]。重種は領地返上を申し出ていたが、板倉家代々の功績[注釈 4]を考慮して5万石は安堵された[7][8]。重種はこのうち3万石を嫡男の重寛に、残り2万石を甥の重宣に相続させた[6][8]。重宣に分与された所領は、上総国市原郡および信濃国伊那郡・佐久郡の2か国3郡に散在していた[6][9][8]。重宣は上総国高滝を居所を定め[6]、ここに高滝藩が立藩する。
しかし翌貞享元年(1684年)8月21日、重宣は21歳の若さで死去した[6][10]。末期養子として、親族の丹波園部藩小出家から重高が迎えられ[注釈 5]、跡を継いだ[12][13]。
元禄12年(1699年)2月4日、板倉重高は領地を備中国賀陽・都宇・小田3郡内に移され、賀陽郡庭瀬を居所とした(庭瀬藩)[14]。以後高滝を居所とする大名は現れず、高滝藩は15年あまりで消滅した。
なお、板倉家は備中庭瀬藩主として定着し、幕末・廃藩置県まで続くことになる。