高田静雄
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広島県広島市出身[1]。旧制広陵中学校中退[2]。日本陸上競技選手権大会では、1927年から1935年までの間に砲丸投げで6回優勝[3]。1934年(昭和9年)に大連で開催された日米対抗陸上競技大会において14m13の日本記録を樹立した[2]。この記録は1953年まで保持された[1]。通称「砲丸王」と呼ばれた[1]。
1936年ベルリンオリンピックに砲丸投げで出場したが予選で失格[4]。
1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下の際、爆心地から約680メートルの中国配電(現中国電力)本店で被爆[1]。戦後、写真家となり、1959年(昭和34年)に「聖なる道」で全日本写真サロン特選、1960年ローマオリンピックのスポーツ写真展で入賞した[2]。1963年(昭和38年)被爆の後遺症による白血病のため死去[4]。
脚注
[脚注の使い方]
- 1 2 3 4 被爆オリンピアンの視点 砲丸投げ故高田静雄さん撮影 26日から東京など巡回展 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター、2018年7月17日
- 1 2 3 “20世紀日本人名事典”. Kotobank. 朝日新聞社. 2019年10月11日閲覧。
- ↑ 男子砲丸投 過去の優勝者・記録|第98回日本陸上競技選手権大会
- 1 2 卜部匡司, 曾根幹子「日本人戦没オリンピアン名をめぐる混乱とその真相 : ベルリンに届けられた大島鎌吉の作成名簿更新の試み」『広島国際研究』第22巻、広島市立大学国際学部、2016年11月、117-130頁、CRID 1050015111530412928、ISSN 1341-3546。
関連文献
- 曾根幹子「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」『広島市公文書館紀要』第32号、2020年、1-13頁。
- 表1 日本人戦没オリンピアン(2020年1月末日現在)(pp.9-10)
| 1910年代 | |
|---|---|
| 1920年代 | |
| 1930年代 | |
| 1940年代 | |
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 | |
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
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