高等教育のガバナンス
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高等教育における「ガバナンス」は、通常、機関の方針および戦略的決定を行う過程を指す。この過程は、意思決定機能を異にする複数の機関・プロセスから構成されるのが一般的である[2]。また、高等教育のガバナンスには、財務・資産(施設)・その他の資源などを所掌する経営(コーポレート)ガバナンスと、入学、教育・研究基準、教育・研究の質保証など学術事項を所掌するアカデミックガバナンスが含まれる[3]。
大学統治の主要モデルには、統治の全側面を単一の機関が担う単一制と、二つの機関が分掌する二元制がある。二元制は、権限と責任の配分に応じて伝統型または非対称型に区分される。主要な統治機関は、理事会(大学評議会(英語版)または大学裁判所(英語版)とも言われる)と学術議会(英語版)(セネト、学術評議会とも)であり、二元制においては前者が経営ガバナンス、後者がアカデミックガバナンスを担当する[4]。
学術議会は概して規模が大きく、学術志向の構成員によって占められる。主たる関心は通常、学術事項にある。これに対し理事会は小規模で、より多様な構成員から成り、戦略立案や機関財務に強みを持つ。単一制では学術議会のみ、または理事会のみを設ける場合がある一方、二元制ではほぼ常に両者が併存する。非対称型の二元制では、通常、理事会が優越的地位を占める[4]。学術議会の最大構成員群は通常、教員(学術職)であり、次いで学生が大きな比率を占める。非学術職員を含める場合もあるが、学外委員の参加は稀で、主として単一制において学術議会が唯一の統治機関である場合に限られる[5]。
大学統治に対する地方または国の政府の関与の度合いは国により異なる。ヨーロッパ大学協会(EUA)は機関の自律性を、組織的自律、財務的自律、人事的自律、学術的自律という四つに区分する。このうち、組織的自律は機関の統治構造と関係が深い。ヨーロッパ大学協会が組織的自立を評価する際の指標には、機関長(学長等)の選考手続・選考基準・解任・任期に対する大学側の統制、統治機関における学外委員の包含とその選任に対する統制、学術組織(学部・学科等)の決定権限、ならびに法的人格(法人)を設ける能力が含まれる[6]。
大学職員の関与の度合いもまた多様である。二元制では、アカデミック・ガバナンスは通常、学術職が優位を占める学術議会型機関の所掌であるが、経営ガバナンスを担う理事会型機関における職員の比率は、職員多数から職員代表なしまで幅がある。学術議会型の単一制では、職員(とりわけ教員)が統治において多数の発言権を有するのが通例であるが、理事会型の単一制では、学術ガバナンスにおいてさえ職員の関与が相当に限定されることがある[4]。英国のディアリング報告書(英語版)は「効果的な統治機関は学外有識者が多数を占めるべきである」とし、かつ「統治機関の正統性のため、当該機関の学生および職員の一部を正規メンバーとして含めるべきである」と結論づけた[7]。これに対し、アメリカ大学理事会協会(英語版)は、「ガバナンスに伴う受託者(英語版)責任に鑑み、理事会に教員・職員・学生を含めることを支持しない」としている[8]。
高等教育ガバナンスの三つの主要な類型は、ナポレオン型、フンボルト型、アングロフォン型であり、いずれも19世紀に形成された。ナポレオン型は、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどナポレオン帝国の一部または影響下にあった国々に見られ、大学を国家教育制度の一部として政府が統制し、歴史的には研究より教育、とりわけ職業・専門教育に重点が置かれてきた。これに対しフンボルト型は、学術的自律を重視し、研究と教育の統合を大学の使命の中心に据える。大学は国家の一部に位置づけられつつも高度な自律と学問の自由を有し、政府の主たる役割はこれらの自由を保障・保護することにある。この研究大学モデルは、ドイツやノルウェーなどに見られる。アングロフォン型は、市民大学の伝統に基づき、学外有識者が主導する統治機関を備えた独立機関としての大学を基本とする。大学は教育と研究を自由に遂行しうるが、フンボルト型の核心である国家とのパートナーシップは存在せず、政府の関与は規制者として、また主要な資金供給者として(しばしば中間機関を通じて)行使される影響力に限定される[9]。
オーストラリア
2003年10月、オーストラリアの大学学長による協議体であるオーストラリア大学学長会議(英語版)は、「総長・オーストラリア大学会議による大学ガバナンスに関する声明」を公表した。高等教育のガバナンスをめぐる国家的・機関的な議論を踏まえ、同声明は、経営および統治構造の発展がもたらす機会を認識して発表された。声明は、オーストラリアにおける従来型の統治モデルと並行して進展してきた「ビジネス・モデル」の役割に言及し、既存の高等教育統治の枠組みを論じるにあたり、これに加える「第三のモデル」にも触れつつ、機関の法的自律性および外部ステークホルダーからの独立を定義した。
統治構造の多様性を認め、内外の力の均衡が必要であるとの前提から、同組織は「効果的な統治体制を実現する単一の方法は存在しない」とする立場を示した[10]。さらに、大学ごとの機関構造や考慮すべき事項の差異を踏まえ、運用上の優良事例(汎用的原則と勧告)を提示し、オーストラリア高等教育の成功に資する国家的プロトコルも特定している。
同勧告は、オーストラリアにおける大学ガバナンス構造の運用実務と、その改善のあり方を描くことを対象とし、対外関係や教員・学生の統治への役割には踏み込まず、理事等の機関構成員の選任について「統治機関の有効な運営に資する必要な技能・知識・経験、大学の価値と教育・研究という中核活動への理解、独立性と学問の自由への理解、並びに当該大学に対する学外コミュニティのニーズを理解する能力」に基づくべきであるとする[11]。
委員会はまた、オーストラリアの大学ガバナンス組織に課される法的義務および法令上の要件を含め、大学ガバナンスの責務を定義した。これに従い、統治機関は「すべての構成員が自らの職務と責任の性質を理解できるよう、導入研修および職能開発プログラムを提供すべきである」とされる[11]。報告書は、リスク管理報告を含む年次報告書のプロトコルと、適正なガバナンスを確保するための追加措置をもって結ばれている。
さらに、オーストラリアの公立大学は、公共財としての教育の特質や各大学固有の特性・制度文化を看過しがちな民間部門のガバナンス理論にますます依拠する傾向にあり、企業的な経営手法の導入は不要でしばしば有害な変化を招き、伝統的な合議制モデルに基づく学術ガバナンスを弱体化させていると指摘される[12]。
かつて世界的上位に位置したオーストラリアの大学は、近年の国際ランキング低下について、教職員人件費の大幅削減や教育の質低下が一因とされる。信頼回復と成果改善のため、大学は裁量的支出の透明性を高め、資金配分を教職員・学生が明確に把握できるようにする必要があるとされ、透明性と説明責任を強化する政策の導入可能性が示されている[13]。
オーストリア
デンマーク
フィンランド
ドイツ
ドイツにおける大学規制は各州の所管であり、統治構造は州によって異なる。ブランデンブルク州の大学は、学生と教員で構成される学術議会による単一統治制を採用する一方、ヘッセン州およびノルトライン=ヴェストファーレン州は、いずれも学術会議の構成が法で定められた伝統的な二元構造を採っている[17]。
南アフリカ

1990年代の民主化移行とアパルトヘイト終焉を経て、南アフリカの大学統治は変容した。欧州および北米の機関自律モデルは南アフリカの状況に必ずしも適合せず、政府による「操舵」と「条件付き自律性」に基づく協働型ガバナンスの概念が提示された。協働統治の目標と目的は、1994年に高等教育国家委員会によって策定された[18]。
しかし、国家政府は当初想定よりもはるかに強い規制的・官僚的統制を高等教育機関に対して行使した。高等教育国家委員会への任命、1997年高等教育法、2001年高等教育国家計画を通じて、政府はカリキュラム、資金配分、規制に直接関与し、大学およびその他の高等教育機関の自律性は低下した[19]。
イギリス
アメリカ合衆国
公的部門改革の影響により、共有・参加型ガバナンスと並行して新たな統治形態が台頭したと、複数の研究者(Kezar & Eckel 2004;Lapworth 2004;Middlehurst 2004)は指摘する。ラップワースによれば、コーポレートガバナンス概念の隆盛と共有・合意型ガバナンスの後退は、学内の参加の低下、管理統制の進行、大学が置かれた新たな環境の産物である[22]。
ケザーとエッケルは、20世紀末の大学統治がより重要な課題への集中およびより合議性が低い方法で漸進的な決定がなされるよう変化したとし、意思決定への参加の価値低下と、説明責任の強化・迅速な意思決定を求める外的圧力をその背景に挙げる[23]。マクマスターは、大学のあらゆる層で膨大な事務作業が追加され、マーケティング、人事管理、管理会計、ウェブ開発、インストラクショナルデザイン等の専門技能が求められるようになった結果、合議型と企業経営型の管理モデル間に緊張が生じたと論じる[24]。
ディアーラブは、高等教育の大衆化のもとでは、いかなる大学も一定の官僚的管理・官僚組織化を回避できないと強調する一方、大学内の非公式の規範や専門職に基づく権威の重要性が無視できるわけではないとする[25]。ラップワースは、企業経営型と合議型双方の良い面を統合した大学統治モデルを提唱する[26]。コールドレイク・ステッドマン・リトル(2003)は、オーストラリア、英国、米国の動向比較を通じて企業型統治への潮流を批判的に検討し、共同統治の明確化を伴う再構成を求めている[27]。またマクマスターは、学内関係に影響を与える人事の役割変容と説明責任の外圧のもと、管理様式を「入れ子型パートナーシップ」「連接型パートナーシップ」「分節型パートナーシップ」として定義する洞察を示す。これらの議論と並行して、大学組織、統治関連団体、多数の高等教育機関が統治に関する政策声明を公表している[28]。
アメリカ大学教授協会
アメリカ大学教授会(英語版)は、民主的価値と参加原理(英語版)に基づく高等教育ガバナンスの声明を初めて体系化した団体である。この声明は、啓蒙時代のカリキュラムが民主的立憲統治確立後に宗教的カリキュラムへの回帰で置換されるべきではないと強調した1828年イェール報告(英語版)に比することができる[29]。アメリカ大学教授会は1920年に最初の「大学・カレッジの統治に関する声明」を公表し、人事決定、管理職の選任、予算編成、教育方針の決定における教員関与の重要性を強調した。以後の改訂を経て、1966年版の声明に結実する[30]。
同文書は高等教育ガバナンスの「設計図」を提示するものではなく、産業界・政府との関係原則を定めることも本旨ではない。むしろ機関の内部統治に関する共有ビジョンの確立を目的とする。学生の関与は詳述されず、内容は一般教育政策と内部運営に関わるもので、組織・管理の正式構造の概観を描く。プロセスと構造の両面において、その意義は高等教育における共同統治の組織哲学を提示する点にある。
全米教育協会
1987年に初版が公表された全米教育協会(英語版)の高等教育における教員統治に関する声明は、共同統治を支持する政策的立場を示す。声明は教員の統治参加が不可欠であるとし、研究的裏付けを示しつつ、教員はカリキュラムと教育方法の策定で大学執行部に助言すべきとする。教員は学位要件の設定に責任を負い、テニュア付与、人事昇進、サバティカル授与に一次的責任を持つ。団体交渉を通じた課題解決に言及し、「大学の管理部門および統治機関は教員の勧告を受け入れるべきである」とする[31]。さらに、教員は給与決定、管理職評価、予算編成にも関与すべきだと述べる。政策は次の主張で結ばれる。
当該政策声明はアメリカ大学教授会の「1966年版・大学・カレッジの統治に関する声明」を参照しており、特に基本原則については明らかである。全米教育協会は文書内で学生に言及しないが、アメリカ大学教授会と同様に「適切なカリキュラムおよび学生教育手続の決定は主として教員の責務である」とする理念を共有する[33]。この点に関連してアメリカ大学教授会は公的資金による機関への配慮にも言及し、全米教育協会が不当手続に対する教員の不服申立権を示唆する一方で、アメリカ大学教授会は統治構造の役割(学長による「健全な学術実践」の確保など)をより詳述する。総じて、アメリカ大学教授会が統治・管理の組織構造を比較的詳細に論じ学生の関与にも触れるのに対し、全米教育協会声明は主として教員の権利と責任を中心に共同統治を定義している点で異なる。
コミュニティ・カレッジの統治に関する声明
1987年の「高等教育における教員ガバナンスに関する政策声明」の公表に続き、1989年、全米教育協会は「コミュニティ・カレッジ統治に関する高等教育政策声明」を発出した。本声明は、共有統治を支持する立場から、前回声明で取り上げられなかったコミュニティ・カレッジ、短期大学、工業大学の管理運営に関する論点を補足するものである。
全米教育協会は、協働的意思決定と団体交渉は合議制の関係に基づくべきであるという同一の原則に立脚する。他方で、全米教育協会および全米大学教授会が統治への教員参加の重要性を唱える一方で、コミュニティ・カレッジに関する声明は、参加の権利があっても多くが行使していないこと、また「公立機関における教員は、多くの州でいまだ団体交渉を許されていない」事実を指摘し、教員参加の必要性を重ねて詳述する[34]。
この「コミュニティ・カレッジ統治に関する政策声明」は、アメリカ大学教授会および全米教育協会の教員統治声明と同一の基底原則に基づき整合する。同声明は、アメリカ大学教授会の統治政策で論じられる「アドホック委員会」および「常置委員会」を含め、前回声明で扱われなかった組織・手続に関しても補足する。アメリカ大学教授会声明が学生とその学問上の権利に関する方針を論じるのに対し、コミュニティ・カレッジに関する全米教育協会声明は学生参加については言及しない[35]。
アメリカ教師連盟
2002年、アメリカ教師連盟(英語版)の高等教育プログラム・政策評議会は、機関の共有統治を支持する声明を公表した。これは、多くの統治評議会が営利企業方式のがバナンスを採用してきたことへの反応である[36]。
アメリカ教師連盟は、大学が執行部と教員の間で民主的な組織過程を達成する趣旨を再確認し、共有統治が次の六つの方法で脅かされているとする[37]。
- 授業の外部委託、新技術の導入
- 教育を非常勤・臨時教員へ振り向ける傾向
- カリキュラムのビジネス科目志向
- 商業的利用を目的としたコースウェアの売買
- 営利目的の教育・研究
- 他大学および民間投資家との商業コンソーシアムの形成
総じて、教育をビジネスと見なす風潮が広がるなか、その風潮の当事者が必ずしも教育に従事していない状況が生じていると述べる。
これに対し声明は、アメリカ大学教授会が最初に確立した統治原則に沿って、学問の自由の基準、基準およびカリキュラム策定における教員参加、学術人事に関する教員決定権という六原則を再確認する。共有統治への参加は拡大されるべきであり、その拡大の方法は機関ごとに異なるが、「学術事業に貢献する各グループは、機能と責任に適った形で参加すべきである」とされる[38]。また、労働組合と学術議会(英語版)が機関内の共有統治の維持に寄与すること、ならびに高等教育機関ガバナンスの認証機関を設置することがガバナンス基準の向上に果たす役割を指摘し、最終的に高等教育における共有統治の目標・目的・趣旨の確認を強調する。
アメリカ大学理事会協会
米国の高等教育機関ガバナンスをめぐる近年の議論と動向を受け、アメリカ大学理事会協会(英語版)はガバナンスに関する声明を公表し、2010年に更新を行った。最初の声明は、対応する文書「パブリックトラストガバナンス: 大学への外部的影響」と併せて公表された。文書では、ガバナンスに関する事実と認識を論じ、とりわけ「学内統治の取り決めがあまりに繁雑化し、迅速な意思決定が困難になっている」といった趨勢に触れる[39]。アメリカ大学理事会協会は続いて、理事会の運営の一般原則と、機関に対する責務を定義し、2010年時点の原則として以下を示す[40]。
- 機関(またはシステム)の統治に関する最終責任は理事会に存する。
- 理事会は学術界における意思決定文化を尊重しつつ、効果的な統治方法を確立すべきである。
- 理事会は戦略的優先順位を反映するプロセスにより、予算を承認し資源配分の指針を定めるべきである。
- 理事会はキャンパスの関係者との公開性の高いコミュニケーションを確保すべきである。
- 理事会は説明責任と透明性へのコミットメントを体現し、他の統治参加者に期待する行動の範を自ら示すべきである。
- 理事会は学長の任命と業績評価に最終責任を負う。
- システム型の理事会は、システム長、各キャンパス長、ならびに準統治・諮問機関の権限と責任を明確化すべきである。
- 公立・私立のいずれの機関でも、理事会は機関が奉仕するコミュニティとの関係構築に重要な役割を果たすべきである。
さらに「パブリックトラストにおける統治」に関する声明では、近年の外部圧力に関して多くの点を繰り返し、州立機関の理事会が拠って立つ市民統治の歴史的役割と根拠を定義する。大学統治における外部影響の性質に再度向き合い、パブリックトラストにおける説明責任と自律の維持に関する具体原則として、次を掲げる。
- 理事会全体の優越(個々の理事の判断より理事会の決定が優先する)
- 機関ミッションの重視
- 内部や外部コミュニケーションの中心としての理事会の尊重
- 模範的な公共的行動の発露
- 学問の自由の中核的地位の維持[41]
結語として、市民による大学統治の再確認を求め、機関の均衡ある独立統治の維持を目指す。
高等教育ガバナンスに関する2001年カプラン調査
アメリカ大学教授会と米国学部長会議の後援により、ハーバード大学博士課程のガブリエル・カプランが実施した「2001年高等教育ガバナンス調査」は、30年前にアメリカ大学教授会のT委員会が行った研究の再現を目指した。報告書は方法論を示しつつ、共有統治の現状に関する要約を提供し、権限の所在と改革の状況、ならびに現下の経済環境による圧力に直面するリベラル・アーツ・カレッジの課題分析を含む[42]。予備結果には、米国の4年制機関1,303校を母集団とし、ガバナンス組織と教員双方から収集したデータに基づくガバナンスの景観に関する未加工データが含まれる。学生は本調査の対象母集団に含まれていない[43]。
共有統治とイエズス会系カトリック大学
1828年のイェール報告に先立つ1819年の米連邦最高裁判決「ダートマス・カレッジ対ウッドワード事件(英語版)」以来、米国の私立大学は一般に地方・州・連邦政府から顕著な自律性を保持してきた。私立教育における共有統治の役割は、しばしば問い直されうる論点である。『イエズス会系大学についての対話』において、キーンとムーア(2005)はイエズス会系大学における共有統治の価値を支持する。キーンは、カトリック系大学が1960年代を通じて共有統治の原則を採用した経緯を指摘する[44]。ムーアは、共有統治が企業世界では非効率と見なされがちな概念であるとしたうえで[45]、大学という組織の力学と複雑性に鑑みれば、共有統治は重荷ではなく不可欠であると論じる。
企業的潮流と対照的に、著者は「画一的な企業統治モデル」は機関のニーズに適合しえないと主張する。この観点から、アメリカ大学教授会の伝統における共有統治は、高等教育の組織・管理の健全な体系であり、「大学が競争力と学問的信頼性を維持しようとするなら長期的に不可欠」であると確認される[46]。カトリック系大学における共有統治の実現様式は機関により異なるが、イエズス会系機関では、修道会の構成員が理事として役割を果たす際、イエズス会教育の理念に基づく指針を与え、「法の下でも現実においても共有統治に不可欠な相互性」を促進しつつ[47]、カトリックの伝統を尊重しながら民主的なガバナンスの精神を体現する。

