高見昌宏
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木本高校では2年夏の県大会ベスト4、秋は3位で東海地区大会に出場すると享栄高の近藤真一の前に敗退し、甲子園には出場できなかった[1]。中学、高校共に4番捕手だった[1]。卒業後は愛知学院大学に進学予定だったが、1986年オフにドラフト外で読売ジャイアンツへ入団した[1]。
プロ10年目の1996年5月28日、16対2の大差がついた試合に仁志敏久の代打で初出場を果たし、プロ初打席を安打で飾るが、その後出番はなく二軍落ち。再昇格後、9月7日の対広島戦で初めて一軍マスクをかぶるが、木田優夫の球を捕れずサヨナラワイルドピッチを演じた。この投球は、「ワンバウンドもしていない球。すみません」[2]と本人が述べたように「実質的に捕逸」[2]と評され、またこの試合の延長10回表には無死二塁で送りバントを試みるも三塁封殺となる[2]ミスもあり、結局二軍落ちとなった[1]。その後は一軍での出場がなく、これが一軍で守備についた唯一の試合となった。その年は二軍では41試合で.277、7本と好調で、日本シリーズ第1戦で村田真一が負傷したため、急遽黒潮リーグから呼ばれて第2戦のベンチ入りをしている。
1997年限りで現役を引退[1]。引退後は二軍用具係[1]、読売ジャイアンツの一軍マネージャー等を務めるなど裏方としてチームを支え、2022年現在はホームタウン推進部長兼ジャイアンツ球場長を務めている。