高野紙
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高野紙の起源については二つの説話が残されている。一つは、伊都郡かつらぎ町新城に「楮(かご)の森丹生明神(丹生都比売(にゅうずひめ))の祭祀(さいし)が、楮の栽培と利用を教えた」というもの。もう一つは弘法大師が古佐布荘(九度山町古沢)で「紙の製法を教えた」というものである。[4] 鎌倉時代初期には、高野山の経典の印刷用紙や経巻の書写用紙に使用。活字印刷が進んだ明治時代以降になると、紙の目が粗いため出版用紙に使われなくなったが、丈夫な厚紙なので、傘紙、障子紙、合羽、紙袋、提灯などに使用された。[1]
埼玉県比企郡小川町で生産される細川紙は、高野山で修行した僧が細川というところで技術を習得し、故郷に伝えたと伝承され、道具、製法がきわめてよく似ている。2014年には細川紙がユネスコの無形文化遺産に登録されている。
高野紙にまつわる文化
高野紙の生産工程
楮(こうぞ)の採取
2~3年生の楮の葉の落ちたものから刈り取る。長さ1~1.2mにそろえて日陰に置き、乾燥しすぎないように保管する。
蒸す
使う前に1晩水に浸け柔らかくする。大きな窯に水をいれ、その中に楮をたて、上から楮蒸し桶をかぶせて2~3時間蒸す。
皮むき
ふかし終えた楮は温かいうちに皮をむく。外皮の黒皮と緑色のあま皮を小刀で削り、白皮にする。
煮る
皮むきした白皮を川に運び浸ける。大釜に水と煮熟剤としてソーダ灰(大正時代以前は木灰)を入れて煮沸させる。沸騰したら楮の皮をいれ、全体が煮えたら(1時間程度)止める。煮た楮の皮は灰汁をしぼる。
叩き解す
煮た楮を充分に水切りし、棒で打ち続ける。強く打ってむやみに叩き切るのではなく、繊維の束をほぐすように打つ。
漉く
水を張った漉き舟に叩き解した楮を入れ、トロロアオイの粘液を加えてさらにかき混ぜる。紙簀と桁を使って3回ほどすくい取る。漉き簀に竹ではなく萱(茅)を用いるのは他に類のない高野紙の特徴。萱(茅)は山上の標高が高いところで採れる細くて節の長いススキで、1つの漉き簀に使うのは150本程度。[7]
干す
干し板に刷毛を使わず、紙の縁を指先で擦って押さえる。天日で乾燥させる。