白河朝にて丹波守・丹後守・備後守を歴任し、のち、位階は正四位下に至る。
康和5年(1103年)2月に高階能遠が常陸介に任ぜられるが[1]、4月に辞退したため、後任として経成が83歳ながら任ぜられる。長治2年(1105年)参議・藤原宗忠の邸宅に訪れた際、85歳にして起居が軽やかで素早く、目も耳もしっかりしているなど、老いても健康な様子は公卿・諸大夫に比する者がないとして、宗忠を驚かせている[2]。常陸介を辞したのち出家し、天永2年(1111年)4月に卒去。享年91。
勅撰歌人として、『金葉和歌集』に和歌作品1首が採録されている[3]。