鬻熊

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鬻熊(いくゆう、生没年不詳)は、の先君。穴熊(穴酓)ともいう。

国名
在位期間 紀元前11世紀頃
都城 京宗
姓・諱 鬻熊
概要 鬻熊, 国名 ...
鬻熊
鬻熊
国名
在位期間 紀元前11世紀頃
都城 京宗
姓・諱 鬻熊
没年 紀元前11世紀頃
祝融黎
后妃 妣列
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生涯

季連の末裔で、文王の師となった[1]。鬻熊は文王に「人間の寿命の長短は天命によるもので、人間の智慮の及ばないところだ」と語った[2]安徽大学蔵戦国竹簡『楚史類』によると、老童の孫で、黎氏(祝融)の六男である季連が穴熊を称し、荊王となった。穴熊は熊鹿(熊麗)を生んでおり、季連・穴熊と鬻熊は同一人物であるとみられる[3]清華大学蔵戦国竹簡『楚居』によると、季連と穴熊は別人で、穴熊は季連に遅れて京宗に移り、妣列を妻に迎えて、載水(浙川)を遡り、侸叔・麗季を生んだ[4]

また鬻熊は『鬻子』1巻[5]の著者に仮託される。

脚注

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