魚潭
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京畿道広州出身。1895年に、国費留学生として日本へ渡った。明治32年4月に渡日し、慶應義塾で教育を受けたのち、1899年11月21日に陸軍士官学校を卒業(第11期)、1900年に大韓帝国軍参尉に任官した。
日露戦争の際に日本軍が朝鮮に駐屯すると、日本軍は魚を高宗の最側近で護衛と監視を並行させる為に、侍従武官に任命した。1910年に日韓併合条約が締結されると、朝鮮駐箚軍司令部附に配属された。
1920年4月26日に、勅令第118号が発せられた事により、朝鮮軍人たる正領から一般の大佐に転じた。
1922年9月18日には少将、1930年12月22日には中将に進級し、翌1931年には朝鮮総督府中枢院の参議に任命された。日中戦争が勃発した翌年の1938年に、総督府が志願兵制を実施すると、総督府の機関紙である毎日新報の紙面で、学生に対して志願を呼びかける談話文を発表した。また、朝鮮臨戦報国団の発起人を引き受ける等、金錫源や崔麟などと共に銃後の支援も積極的に行った。