鯛せんべい

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鯛せんべい

鯛せんべい(たいせんべい)は、大正時代より千葉県鴨川市小湊漁港・鯛の浦に因んで作られている郷土菓子。

原材料に砂糖小麦粉鶏卵けしの実を使用し、手では割りづらいほどの硬さで、口当たりは焼き八ツ橋に似た、の形をした甘いせんべい

「鯛の浦」の日蓮の伝説をモチーフに水面を跳躍する鯛の姿をかたどった焼き菓子である[1][2]。小麦粉に砂糖、鶏卵を混ぜて水で溶いたものに白玉粉を加えた生地を鯛模様の型に流し込んでけしの実を散らして焼き上げたのち、木型で反りをつけ、鯛の形に仕上げる[2]

最初はヒエを材料にした、現在とは大分違ったものが作られていたが、大正の末から昭和の始めに上質の小麦粉、砂糖、卵等を使って鯛の姿を作り、白身を片側に表した活き作りの様式が取り入れられた。大鯛の跳躍を型どった“まげ具合”に独特の技術があり、千葉県の銘菓の一つとして知られている[3][4]1983年(昭和58年)には房総の魅力500選に選定された[4]

プレーン、シナモン味、抹茶味の鯛せんべいも作られており、多くの種類が考案されている。

鴨川市小湊以外でも駅やサービスエリアの売店でも売られている事がある。

起源・由来

文永元年10月(1264年)、日蓮宗の開祖日蓮が、父祖の供養のため鴨川へ帰ったおり、海に向かって祈り南無妙法蓮華経の題目を書いた。その後、波の上にその文字が現れ、同時に多数の鯛が寄り集まって、その題目を食べ尽くしてしまった。住民達は奇跡に驚き、以来、鯛を聖人の生き姿と考えて信仰、殺傷禁断の聖地とし、数百年間餌を供して守護し続けてきた。』という伝説に由来する。現在では国の特別天然記念物に指定されている。

その鯛に因み、大正時代に町内の「鈴木屋洋物店」店主、鈴木貞作が観光地に相応しい銘菓をと提案し、1923年(大正12年)に天津小湊にあった和菓子屋「廣木堂」の今井幸次郎が「小湊名物 元祖 鯛焼煎餅」として作り始めたのが鯛せんべいの始まりである[1][5]。今井幸次郎は、横浜の太平堂という和菓子屋で修行経験があり、同店の喜楽せんべいの製法を応用したとされている[1]

「妙の浦」の鯛は禁漁となっており、また現在と違って流通の発達していなかった当時の事、思案の末、せめて形だけでもと、妙の浦の朝日輝く波間に跳ねる大鯛を模して考案された。当時は小麦粉に砂糖を加え、鯛の鱗に見立てた白胡麻をまぶして焼いていた。後に口あたりをよくするために鶏卵を加え、白胡麻をけしの実に変えるなど試行錯誤が繰り返され戦後、現在の姿に落ち着いた[5]

特徴

原材料には主に砂糖、小麦粉、鶏卵、けしの実を使用。手では割りづらいほどの硬さで、口当たりは焼き八ツ橋に似ている。鯛の鱗に見立てた白胡麻をまぶして焼いた面と反対側はお店の名が入っている。鯛の形をした甘いせんべい。焼き上がった鯛せんべいを形から剥がし反りをつける工程は、複雑なため手作業にて行う。

独特の製法

柔らかめの種を図柄入の銅型に薄く流し入れて焼き上げる。その際、裏面が白くなる様に、下火をほとんど使わず、ほぼ上火のみを用いる為、型にくっついてしまい、手作業以外では綺麗に剥がす事ができない。テフロン加工の型を使ったり、離型油脂を多めに使用すれば、剥がれは良くなるが、種が柔らかく薄いため、表面張力により縮んでしまうので、わざと型にくっつけて縮むのを防いでいる。剥がれは悪くなるので、焼きあがり直後のまだ熱いうちに、「目打ち」という先の尖った道具で剥がし、木製のトイ型の上に並べて反りを付ける。オーブンの温度は約250℃。職人の手によって一枚一枚製造されていることが一般的である。

主な製造販売企業

脚注

関連項目

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