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鳥町食道街

北九州市小倉北区の飲食店街 From Wikipedia, the free encyclopedia

鳥町食道街(とりまちしょくどうがい)は、福岡県北九州市小倉北区魚町一丁目にあった飲食店街。第二次世界大戦直後の闇市をルーツとし、魚町銀天街から東に延びる約70メートルの路地沿いに飲食店が軒を連ねていた[1]。焼きうどん発祥の店とされる「だるま堂」や、松本清張ゆかりの中国料理店「耕治」などがあった[2][3]。

鳥町食道街(2008年)

2024年(令和6年)1月3日に発生した大規模な火災で全域が被災し、隣接する魚町銀天街などにも延焼した。火災後は一部の店舗が移転・再建して営業を再開し、跡地では2025年5月からイベントスペース「魚町みらい広場」が暫定利用されている[4]。

歴史

成立と発展

第二次世界大戦直後に小倉中心部に形成された闇市をルーツとする[1]。小倉駅南側の繁華街に位置し、魚町銀天街から東へ延びる長さ約70メートルの細い路地に、定食店、中国料理店、ウナギ料理店などが並んでいた[1]。

店舗の多くは小規模な木造建築であった。北九州市は2022年の市政広報で、市内の路地裏を紹介する場所の一つとして鳥町食道街を取り上げていた[5]。

主な店舗

だるま堂

「だるま堂」は、焼きうどん発祥の店とされる。北九州市によれば、終戦直後の1945年(昭和20年)、中華麺が手に入らなかったため、干しうどんをゆでて焼き、ソースを絡めて提供したのが小倉の焼きうどんの始まりとされている[6]。

2024年1月の火災によって店舗を焼失した。翌2月には火災後初めて焼きうどんを実演販売し、同年4月から小倉井筒屋で営業を再開した[7]。

耕治

「耕治」は1955年(昭和30年)創業の中国料理店。創業者の平野耕治が魚町で小さなラーメン店を開いたことに始まる[3]。松本清張が通った店としても知られる[3]。

2024年1月の火災で魚町本店が全焼した。旧店舗近くで再建され、2025年7月8日に営業を再開した[3]。

特徴

2024年の1月の火災までは、魚町銀天街に接する約70メートルの細い路地に飲食店が密集する街区であった。定食店、中国料理店、ウナギ料理店など業態の異なる店舗が近接して並んでいた[1]。

店舗の多くは小規模な木造建築だった。2024年の火災後、北九州市は、古い木造飲食店が建ち並んでいたこと、道路が狭かったこと、崩落したトタン板や屋根などにより消火活動が難航したと説明している[8]。

交通

2024年の火災

概要 鳥町食道街火災, 場所 ...
鳥町食道街火災
2024年1月3日の火災
場所 日本の旗 日本・福岡県北九州市小倉北区魚町一丁目
日付 2024年(令和6年)1月3日
15時10分頃 – 1月5日8時50分 (JST)
概要 飲食店から出火し、鳥町食道街や周辺の商店街に延焼
死亡者 0
負傷者 0
行方不明者 0
影響 36店舗、延べ約2730平方メートルを焼損
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2024年1月3日、鳥町食道街を含む魚町一丁目で大規模な火災が発生した。火は隣接する魚町銀天街などにも広がり、36店舗が被災した。焼損面積は延べ約2730平方メートルで、死傷者はいなかった。

北九州市街における火災の背景として、旦過市場で2022年に相次いだ大規模火災を受け、北九州市消防局は木造飲食店や木造建築物の密集地域への防火指導を強化していた。鳥町食道街でも2023年12月22日に防火指導が実施されていた[8]。

発生と消火活動

北九州市消防局によると、1月3日15時10分、魚町一丁目4番の鳥町食道街などで火災が発生したとの119番通報があった[9]。消防署35台、消防団9台が出動し、消防ヘリコプターも投入された[9]。

同日19時46分に延焼阻止、翌4日4時1分に火勢鎮圧、8時9分に鎮火状態となり、最終的には5日8時50分に鎮火が確認された[9]。

被害

延焼する鳥町食道街周辺。

火災では鳥町食道街にあった22店舗がすべて焼損したとみられ、魚町銀天街などを含む周辺にも被害が及んだ[10]。被災店舗は計36店舗、焼損面積は延べ約2730平方メートルとなった[11]。

前述のだるま堂や耕治は、同火災により店舗を焼失した。また、被害は鳥町食道街のほか、魚町1丁目商店街や米町第2町内会に所属する店舗にも及んだ[9]。

行政の対応

北九州市は火災翌日の2024年1月4日、市長を本部長とする「魚町火災緊急対策本部」を設置した[9]。市役所産業経済局商業・サービス産業政策課に被災者向けの相談窓口を開設し、北九州商工会議所と福岡県北九州中小企業振興事務所にも相談窓口が設けられた[9]。市は被災事業者の営業再開を支援するため、商店街空き店舗活用事業に災害特例を適用した[9]。

北九州商工会議所、北九州青年会議所、小倉中央商業連合会は、「魚町火災復旧支援の会」を設立し、がれき撤去費用などに充てる寄付金を募った[12]。

出火原因の特定と刑事裁判

北九州市消防局は2025年7月1日、火元となった飲食店で、使用済みの食用油に凝固剤を入れた鉄製の鍋をガスこんろで加熱中、店舗関係者がそのことを失念して外出したため、過熱した油から出火したと推定する調査結果を発表した[13]。

同日、小倉北警察署は火元となった飲食店の元経営者の女性を業務上失火の疑いで書類送検した。警察は、元経営者が油入りの鍋を火にかけたまま外出し、建物34棟を焼損させたとした[14]。

福岡地方検察庁小倉支部は同年10月30日、元経営者を業務上失火罪で在宅起訴した。起訴状では、鳥町食道街の店舗など33棟、約2730平方メートルを焼損させたとされた[15]。

2026年1月15日に福岡地方裁判所小倉支部で開かれた初公判で、元経営者は起訴内容を認めた。検察側は、近隣店舗などの財産的損害が少なくとも約6億7450万円に上るとして禁錮2年を求刑し、弁護側は執行猶予付きの判決を求めた[16]。

同年2月5日、福岡地裁小倉支部は元経営者に禁錮2年、執行猶予4年の判決を言い渡した[17]。

火災後

被災店舗の営業再開

火災後、被災した事業者の一部は移転や店舗の再建によって営業を再開した。

だるま堂は2024年2月に火災後初めて焼きうどんを実演販売し、同年4月から小倉井筒屋で営業を再開した[18]。2025年5月に魚町みらい広場が開設されると、同所にも出店した[19]。

耕治は旧店舗近くに魚町本店を再建し、2025年7月8日に約1年半ぶりに営業を再開した[3]。

魚町みらい広場

2025年5月9日、火災跡地にイベントスペース「魚町みらい広場」が開設された[4]。跡地の本格的な再整備までの暫定利用で、飲食店の出店やイベントなどに利用されている[4]。

開設初日から11日まで「北九州ハイボールフェスタ」が開かれ、だるま堂などが出店した[4]。

復興・再建への取り組み

2024年7月17日、被災区域の地権者らは跡地の復興について情報交換や検討を行う「魚町地区の復興を考える会」を設立した[20]。

2026年7月17日から20日には、魚町みらい広場で鳥町食道街の復興・再建を願うイベント「鳥町夜市」が開催された[21]。

関連項目

脚注

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