鳴尾八幡神社
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位置
北緯34度43分20秒 東経135度22分8.3秒 / 北緯34.72222度 東経135.368972度座標: 北緯34度43分20秒 東経135度22分8.3秒 / 北緯34.72222度 東経135.368972度
社格等
旧村社
| 鳴尾八幡神社 | |
|---|---|
|
社殿 | |
| 所在地 | 兵庫県西宮市上鳴尾町14-21 |
| 位置 | 北緯34度43分20秒 東経135度22分8.3秒 / 北緯34.72222度 東経135.368972度座標: 北緯34度43分20秒 東経135度22分8.3秒 / 北緯34.72222度 東経135.368972度 |
| 主祭神 |
応神天皇 天照皇太神 |
| 社格等 | 旧村社 |
| 創建 | 伝・文安年間 |
| 別名 | 八幡神社 |
| 例祭 | 7月9日 |
| 主な神事 | 例大祭 |
| 地図 | |
鳴尾八幡神社(なるおはちまんじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社。市内鳴尾地区における鎮守神として地域住民に信仰されている。社号については、単に八幡神社と称される[1]場合もあり、入口の社号標には「八幡神社」と刻名されている。
年表
祭神
祭事
- 1月1日 - 歳旦祭
- 3月25日 - 天満宮例祭
- 7月9日 - 夏祭
- 7月15日 - 猿田彦社祭
- 8月15日 - 慰霊祭
- 8月24日 - 子安社例祭
- 10月20日 - 秋祭
- 毎日9:30~ー日供祭(にっくさい)
境内


1400年頃より生えているとされるクロマツの巨木が茂る約2,000坪の境内は、西宮市の景観樹林保護地区に指定されている[1][3]。南端の鳥居より社殿前まで約170mの参道が真直ぐに延びており[注 3]、境内社や慰霊塔等が沿道に鎮座している。
- 社殿
- 木造銅板葺。阪神・淡路大震災により本殿が全壊し、2000年(平成12年)3月に再建された。拝殿に掲げられていた扁額は、1867年(慶応3年)11月、有栖川宮熾仁親王より奉献された勅額であったが、同震災による破損のため再建後は複製が掲げられている。
- 稲荷社
- 社殿前の参道西側にある。祭神は倉稲魂命。
- 天満宮
- 社殿前の参道西側、稲荷社の北隣にある。祭神は菅原道真。
- 猿田彦社
- 社殿前の参道西側、稲荷社の南隣にある。祭神は猿田彦大神、住吉大神、船玉大神、松尾大神、出雲大神、淡島大神、廣峯大神、多賀大神、多度大神、一目連大神[4]。
- 子安社
- 第三鳥居(石橋)南の参道西側にある。祭神は木花咲耶姫命、磐長姫命、八意思兼神、八岐比古神、八岐姫神。
- 鳴尾 元戎社
- 例祭日九月十日
- 鳴尾には、西宮まで蛭児神を神輿に乗せた御神幸に際して、これに供奉した漁民たちの存在が伝えられている。この人々を太夫とよび、その代々の子孫は太夫の名乗りを継承した。太夫の家は七軒あったといわれる。戦災により寺や家々の過去帳が焼失したため、いまではどの家が太夫だったかはわからなくなったが、御神幸に参加した太夫たちの総代で「惣太夫」とよばれた家がある。(中略)戦前までは鳴尾の太夫たちも毎年五月十四日(旧暦)の西宮神社の御神幸式日に参加していたという。 この文中の「惣太夫」が今でもおこしや祭りに参加し、鳴尾名物であったスイカをお供えしているのだ。
- 慰霊塔
- 第二鳥居北の参道西側にある。1923年(大正12年)に除籍となった戦艦安芸の砲身が塔として建立されたもの。旧称は忠魂碑。当時の鳴尾村より出征した、日清戦争・日露戦争・大東亜戦争の戦死者を祀る。1941年(昭和16年)に公布された金属類回収令により2体の神馬像が武器生産のため供出されたが、慰霊塔は残された。
その他参道脇には、江戸時代の文人墨客[注 4]が集った砂浜神社の名残りである「文房四神之碑」や、第七代西宮市長・辰馬龍雄と当時の鳴尾文化協会会長・東内三男の協力により建立された俳句塚、1936年(昭和11年)の耕地整理事業完成記念の神馬像[注 5]などがある[1]。
- 稲荷社
- 天満宮
- 猿田彦社
- 子安社
- 慰霊塔
- 文房四神之碑
- 神馬像
- 震災復興記念碑
交通
- 阪神鳴尾・武庫川女子大前駅下車 北西へ徒歩約3分
- 阪神甲子園駅下車 東へ徒歩約10分
