中京商業(現・中京大学附属中京高等学校)在学中は、1940年春の甲子園に出場(初戦で京都商業〈現・京都学園高等学校〉に1-6で敗戦)。中京商時代の同級生・チームメイトに杉江文二(のち大和、中日。杉江とは同じ生年月日でもある)がいる。
1943年に西鉄軍に入団。5月15日の南海戦(西宮球場)で初出場[1]。その後、二塁手のレギュラーとして定着した。打撃はやや非力だったが、選球眼は良く、四球が三振を上回っている。IsoD(出塁率-打率)は.161とハイアベレージであった。しかし、同年シーズン終了後に西鉄軍を退団。戦後もプロ野球に復帰しなかった。