鶴山古墳
From Wikipedia, the free encyclopedia
別名
島之郷村3号墳
位置
北緯36度19分27.08秒 東経139度20分25.88秒 / 北緯36.3241889度 東経139.3405222度座標: 北緯36度19分27.08秒 東経139度20分25.88秒 / 北緯36.3241889度 東経139.3405222度
形状
前方後円墳
| 鶴山古墳 | |
|---|---|
|
墳丘(右に前方部、左奥に後円部) | |
| 別名 | 島之郷村3号墳 |
| 所在地 | 群馬県太田市鳥山上町2140ほか |
| 位置 | 北緯36度19分27.08秒 東経139度20分25.88秒 / 北緯36.3241889度 東経139.3405222度座標: 北緯36度19分27.08秒 東経139度20分25.88秒 / 北緯36.3241889度 東経139.3405222度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長95m 高さ7.5m(後円部) |
| 埋葬施設 | 竪穴式石室(内部に木棺) |
| 出土品 | 人骨・短甲・冑ほか副葬品多数 |
| 築造時期 | 5世紀中葉 |
| 史跡 | 群馬県指定史跡「鶴山古墳」 |
| 地図 | |
群馬県東部、金山丘陵西側の大間々扇状地の東南端部に築造された大型前方後円墳である[1]。現在までに前方部は大きく削平されているほか、1948年(昭和23年)に発掘調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を南東方向に向ける。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[2]。墳丘周囲には周濠が巡らされる[2]。埋葬施設は後円部中央における竪穴式石室で、内部に木棺が据えられるほか、石室外の北側には粘土槨が認められる。石室内からは人骨や冑2・短甲3のほか多数の鉄製品・石製模造品が、粘土槨からは鉄鉾・鉄鏃が検出されている。ただし頭骨・装身具類・埴輪が発見されない点では特異な様相になる[3]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀中葉頃と推定される[2]。東日本最大の古墳である太田天神山古墳(太田市内ケ島町)の存在を考え合わせて、群馬県東部の政治情勢を考察するうえで重要視される古墳になる[2]。
古墳域は、1951年(昭和26年)に群馬県指定史跡に指定されている。
遺跡歴
墳丘
埋葬施設
出土品
出土品
群馬県立歴史博物館展示(他画像も同様)。1948年(昭和23年)の調査で検出された副葬品は次の通り[2]。
- 木棺内
- 大刀 1点 - 上体側部。
- 鉄製農工具類 - 下肢部。
- 鎌 5
- 斧 5
- 鉇 6以上
- 石製模造品 - 下肢部。
- 鎌 3
- 斧 2
- 刀子 21
- 木棺・石室側部間
- 剣 2
- 大刀 3
- 石室東端部(頭部)
- 短甲 3 - 横矧板鋲留短甲2、長方形板革綴短甲1。横矧板鋲留短甲は冑・頸甲・肩甲とセット関係で、長方形板革綴短甲は横矧板鋲留短甲に先行する。
- 衝角付冑 1
- 眉庇付冑 1
- 頸甲 2
- 肩甲 2
- 木棺上面
- 盾 - 月日貝7枚を飾る杉綾文地黒漆塗赤色塗彩隅金具付。
- 石室外(粘土槨内)
- 鉄鉾 5
- 鉄鏃 約100
- 1号短甲
- 衝角付冑
- 眉庇付冑
- 鉄製品
考証
文化財
関連施設
- 群馬県立歴史博物館(高崎市綿貫町) - 鶴山古墳の出土品(群馬大学所有)を保管・展示。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(群馬県教育委員会・太田市教育委員会設置)
- 「鶴山古墳」『群馬県の地名』 日本歴史地名大系10、平凡社、1987年。ISBN 4582490107。
- 大塚初重「鶴山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 梅澤重昭「鶴山古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
