築城年代は不明。小山氏は、鎌倉時代以来下野国の守護に任じられ、中世を通じて下野国最大の豪族であった。
鷲城は中久喜城、祇園城とならび、小山氏の主要な居城であるとともに、1380年(康暦2年/天授6年)から1383年(永徳2年/弘和2年)にかけて起こった小山義政の乱において本城としての役割を果たした。乱における小山方の拠点として文献資料[2]に記されたのは、鷲城のほか、岩壺城(中久喜城)、新々城、祇園城、宿城がある。
鷲神社
今日、櫓台、土塁、堀の痕跡が残っている。本丸には名の由来となった鷲神社がある[3]。外城は宅地化され、地名となっている。小山総合公園が隣接している。