1921年3月12日に[1]愛知県に生まれる。一宮中学校を卒業し、その後、東京帝国大学工学部を卒業した。1957年に、「弾性力学における近似解法に関する研究」で工学博士を取得する。
第二次世界大戦中に、技術大尉として特攻機「桜花」の設計に携わる。鷲津技術大尉は桜花の性能関係を担当し、山名正夫技術中佐は設計課主任、北山敏和は主務設計者で全般、服部六郎技術少佐は構造、北野多喜雄技師は空力と設計を分担した。この5人の設計スタッフは、海軍航空技術廠の一室に籠城して設計に専念した[3]。
東京大学工学部航空工学科で助教授、教授を務め、その後、大阪大学基礎工学部で教授となる[4]。
娘の鷲津浩子(1952年生)は、アメリカ文学者・筑波大学教授である[5]。