鷹司兼平
鎌倉時代中期の公卿・能書家。近衛家実の四男。従一位・関白、太政大臣。鷹司家の祖・初代。藤氏長者。摂政。
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鷹司 兼平(たかつかさ かねひら)は、鎌倉時代中期の公卿・能書家。関白・近衛家実の四男。官位は従一位・関白、太政大臣。鷹司家の祖。通称は照念院関白(しょうねんいん かんぱく)。
経歴
暦仁元年(1238年)従二位権大納言兼右近衛大将となる。その後右大臣、左大臣を歴任。建長4年(1252年)摂政・藤氏長者宣下を賜り、太政大臣に任じられた。同6年(1254年)関白となる。
元々関白には近衛兼経が就いていたが、後深草天皇の元服に伴って辞任(同じ摂政が二人の天皇の元服に奉仕することは不吉とされていた)。そのため新たな摂政には兼経の弟である鷹司兼平が就任した。兼平は兼経の猶子となっていたが、兼経には近衛基平という実子もいた。要するに兼平は中継ぎとして摂政に就任したのだ。ところが兼平は基平と同じような出世を辿っている。これは摂関家嫡流と同じ出世ルートであり、ここに至り近衛家は嫡流の近衛家と鷹司家の二つに分裂した[1]。
近衛家では「近衛家所領目録」が作成されたが、これも鷹司家の分出に伴い家領を鷹司家と区分する目的で作られたのだという。兼平は近衛家から文与された所領四ヵ所に加え、宣陽門院領から伝領された領土と合わせて鷹司家領を形成する[2]。
一旦辞任するが建治元年(1275年)に再度摂政・藤氏長者となった。前関白の父が摂政に就くのは前代未聞の事態だったが、兼平は後深草上皇・亀山上皇のどちらとも関係が良好であるため、調整役として摂政に任じられたのだと考えられる。以降兼平は12年間に渡って摂関を務める[3]。
兼平は朝廷の調整役として摂関を歴任し、息子の鷹司基忠とともに内覧としても活躍した。以後も鷹司家は他家と比べて大きな問題もなかったため、安定してその地位を維持することが出来た[注 1]。そのため、鷹司家は有識故実に詳しい家として重用され続けた[4]。
正応3年(1290年)出家し、覚理と号する。永仁2年(1294年)に智恵光院を開山するが、間もなく薨去。兼平は前後23年の長きにわたって摂関の任にあった。
能書家としても著名。日記に『称念院関白記(兼平公記)』、有職故実書に『照念院殿装束抄』がある。勅撰和歌集には4首入集している。
官歴
| 和暦(西暦) | 月日(旧暦) | 年齢 [注 2] | 事項 |
|---|---|---|---|
| 嘉禄3年(1237年) | 2月23日 | 10歳 | 元服し正五位下に叙す |
| 2月28日 | 右近衛少将に任ず | ||
| 7月17日 | 従四位下に昇叙、右近衛少将如元 | ||
| 9月15日 | 右近衛中将に転任 | ||
| 10月15日 | 禁色を聴される | ||
| 暦仁元年/延応元年(1238年) | 1月5日 | 11歳 | 従四位上に昇叙、右近衛中将如元 |
| 1月22日 | 兼播磨権守 | ||
| 1月27日 | 従三位に昇叙、右近衛中将如元 | ||
| 閏2月15日 | 権中納言に任ず | ||
| 4月18日 | 権大納言に転任、帯剣を聴される | ||
| 9月1日 | 正三位に昇叙 | ||
| 11月6日 | 従二位に昇叙、兼右近衛大将 | ||
| 12月23日 | 兼右馬寮御監 | ||
| 延応元年/仁治元年(1239年) | 4月23日 | 12歳 | 正二位に昇叙 |
| 仁治2年(1241年) | 4月17日 | 14歳 | 内大臣に任ず |
| 4月18日 | 右近衛大将如元 | ||
| 10月10日 | 右近衛大将を辞す | ||
| 寛元2年(1244年) | 6月13日 | 17歳 | 右大臣に転任 |
| 寛元4年(1246年) | 3月28日 | 19歳 | 一上宣下 |
| 11月15日 | 随身および兵仗を辞退 | ||
| 12月24日 | 左大臣に転任 | ||
| 宝治2年(1248年) | 10月23日 | 21歳 | 従一位に昇叙 |
| 建長4年(1252年) | 10月3日 | 25歳 | 摂政および藤氏長者宣下、左大臣如元 |
| 11月3日 | 太政大臣宣下、摂政・藤氏長者如元 | ||
| 建長5年(1253年) | 11月8日 | 26歳 | 太政大臣を辞す |
| 建長6年(1254年) | 12月2日 | 27歳 | 摂政を辞し、准摂政および関白宣下 |
| 正元元年(1259年) | 11月26日 | 32歳 | 亀山天皇践祚に伴い、関白如元宣下 |
| 弘長元年(1261年) | 4月29日 | 34歳 | 関白および藤氏長者を辞す |
| 文永5年(1268年) | 12月29日 | 41歳 | 随身および兵仗を賜る |
| 建治元年(1275年) | 10月21日 | 48歳 | 摂政および藤氏長者宣下(再任) |
| 建治2年(1276年) | 12月14日 | 49歳 | 太政大臣宣下、摂政・藤氏長者如元 |
| 建治3年(1277年) | 4月26日 | 50歳 | 太政大臣を辞す |
| 弘安元年(1278年) | 12月7日 | 51歳 | 摂政を辞し、関白宣下 |
| 弘安9年(1286年) | 閏12月12日 | 59歳 | 兵仗を辞退 |
| 弘安10年(1287年) | 8月11日 | 60歳 | 関白を辞す |
| 正応2年(1289年) | 6月1日 | 62歳 | 内覧宣下 |
| 正応3年(1290年) | 3月30日 | 63歳 | 出家 |
| 永仁2年(1294年) | 8月8日 | 67歳 | 薨去 |