鹿山誉
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徳島県生。旧制徳島県立徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)卒業後、1934年(昭和9年)に海軍兵学校に入学した[1][2]。
海兵65期として1938年(昭和13年)に卒業する[2]。八雲・陸奥・剣埼・夕立・村雨・五月雨などの海軍軍艦および艦艇に乗船した。[要出典]
1940年(昭和15年)に舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊副官になる。1941年(昭和16年)に夕立と村雨の砲術長兼分隊長、1943年(昭和18年)に海軍第16防空隊長になる。1944年(昭和19年)海軍少佐に昇進し、1945年(昭和20年)に海軍兵学校教官兼海軍兵学校監事となる。戦後は横浜鎮守府で第二復員省復員官を務めた。[要出典]
戦後は横浜工事株式会社の代表取締役を務めた[3][4]。また1985年(昭和60年)に海軍第16防空隊回顧録の本を出版した。
