鹿島層
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1991年以降鹿島層として扱われている層は、長尾ほか (1954) では凝灰岩を含まない層を磯次郎沢頁岩層、頻繁に挟む層を鉱泉沢凝灰質砂岩頁岩層として区別されていた。しかし、前者で凝灰岩を挟む露頭や後者で挟まない露頭が確認されていたことから、地質構造の複雑性も加味して複数の層への細分が不可能であると本山ほか (1991) により判断された[2]。本山ほか (1991) は北海道の大夕張地域の鹿島付近を模式地として鹿島層を命名した[3]。当時、蝦夷層群は"下部蝦夷層群"・"中部蝦夷層群"・"上部蝦夷層群"・"函淵層群"の4層群に分割されていた。後にTakashima et al. (2004) はこれらを蝦夷層群として纏め、かつての"上部蝦夷層群"を鹿島層として扱い、本山ほか (1991) を踏襲した[3][4]。
層序
北穂別地域や大夕張地域、富内-安住地域などに分布しており、層厚は北穂別地域で2500mを超え、富内-安住地域では1000m以上に達する[3][5]。模式地付近である大夕張地域の真谷地沢では2000m、熊の沢では1400mの層厚が得られている[2]。大夕張地域では佐久層・函淵層と整合の関係にあり、北穂別地域や富内-安住地域では下限が確認されていない[3][5]。鹿島層の堆積時期は大夕張地域南部において、北穂別地域や大夕張地域北部 - 中央部と比べて遅いことが判明している。より具体的には、佐久層との境界が大夕張地域北部 - 中央部において中部 - 上部チューロニアン階にあたるのに対し、同地域南部においてはチューロニアン/コニアシアン階境界付近に対応する。この関係はイノセラムス化石の層序関係から導かれている[3]。
