当麻皇子

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当麻 皇子(たいま の みこ、敏達天皇3年(574年?)以降用明天皇元年(586年?)以前 - 没年不詳)は、古墳時代後期から飛鳥時代前期にかけての皇族麻呂子皇子ともいう。用明天皇の第三皇子。その母は『日本書紀』用明元年(五八六)正月壬子朔条は葛城直磐村の娘広子、『古事記』用明段は当麻之倉首比呂の娘飯女之子とする。当麻氏の本拠地である当麻(葛城市當麻)は葛城地域の一部であり、葛城の豪族の出身とする点で共通する[1]。子孫に中級官人となった当麻氏と大和高田を中心として活躍した平田党武家・当麻高田氏が出ている。大江山の鬼退治伝説で知られる。

続柄 第31代用明天皇の第3皇子
出生 敏達天皇3年(574年?)以降、用明天皇元年(586年?)以前
死去 不詳
配偶者 舎人皇女欽明天皇皇女
概要 当麻皇子, 続柄 ...
当麻皇子
続柄 第31代用明天皇の第3皇子

出生 敏達天皇3年(574年?)以降、用明天皇元年(586年?)以前
死去 不詳
配偶者 舎人皇女欽明天皇皇女
父親 用明天皇(第31代天皇
役職 征新羅将軍
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経歴

推古天皇10年(602年)、征新羅大将軍であった異母弟の来目皇子薨去した後、翌推古天皇11年(603年)4月に征新羅将軍となった。難波から船で出発したが、播磨国明石で妻である舎人皇女薨去したことから、皇女を明石に葬った後引き返したという。

系譜

  • 父:用明天皇
  • 母:葛城広子(葛城磐村の娘)[2][3]、または葛木伊比古郎女(葛木当麻倉首比里古または当麻倉日子の娘)[4]
  • 妻:舎人皇女(欽明天皇の皇女)

脚注

参考文献

関連項目

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