黎熙宗 大越後黎朝23代皇帝。神宗の四男 From Wikipedia, the free encyclopedia 黎熙宗(れいきそう、レ・ヒトン、ベトナム語:Lê Hy Tông / 黎熙宗)は、後黎朝大越中興期(中国語版)の第23代皇帝。名は黎 維祫(レ・ズイ・カップ、ベトナム語:Lê Duy Cáp / 黎維祫)[1]、または黎 維𥘺(レ・ズイ・チー、ベトナム語:Lê Duy Chỉ / 黎維𥘺)[2]とも。 この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(CJK統合漢字拡張B)が含まれています(詳細)。 王朝 後黎朝在位期間 1675年4月27日 - 1705年4月姓・諱 黎維祫(黎維𥘺)諡号 聡敏英果敦豁寛裕偉度徽恭章皇帝概要 熙宗 黎維祫, 王朝 ...熙宗 黎維祫 後黎朝 第23代皇帝王朝 後黎朝在位期間 1675年4月27日 - 1705年4月姓・諱 黎維祫(黎維𥘺)諡号 聡敏英果敦豁寛裕偉度徽恭章皇帝廟号 熙宗生年 景治元年3月15日(1663年4月22日)没年 永盛12年4月15日(1716年6月4日)父 神宗母 鄭氏玉搢后妃 温慈皇太后陵墓 富寧陵元号 永治 : 1676年 - 1680年正和 : 1680年 - 1705年閉じる 生涯 神宗(中国語版)の四男。徳元2年4月3日(1675年4月27日)に兄の嘉宗(中国語版)が崩じると西定王鄭柞によって擁立され、13歳で即位した。 永治元年(1676年)、工部尚書・潤裔侯胡士揚(ベトナム語版)に命じて国史を監修させた[1][3]。永治2年(1677年)には禄郡公丁文左(ベトナム語版)を派兵して高平の莫敬宇(中国語版)を討伐させ、莫敬宇を清の広西竜州に逃亡させた。 正和26年(1705年)、長男の皇太子黎維禟に譲位して太上皇となった[1]。永盛12年4月15日(1716年6月4日)に54歳で崩じ、富寧陵に葬られた。 出典 [1]『大越史記全書』続編巻之一 黎紀 熙宗章皇帝 [2]『清史稿』巻五百二十七 列伝三百十四 属国二 越南 [3]『ベトナム史略』第2巻 自治の時代 第5章 北部での鄭氏の統治 永治年間に鋳造された永治通宝 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。 大越史記全書/続編巻之一 黎紀 先代嘉宗 後黎朝の第23代皇帝1675年 - 1705年 次代裕宗 この項目は、ベトナムに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:東南アジア / プロジェクト:アジア)。表示編集この項目は、アジアの歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/P:アジア/PJ:歴史/PJ:アジア)。表示編集この項目は、君主に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:人物伝/PJ王朝/PJ人物伝)。表示編集 Related Articles