黒川誠一郎
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黒川誠一郎は、加賀藩の蘭医・黒川良安の長男として生まれた[1]。幼少より漢籍を学び、のちに仏語の初歩も修めている[2]。
明治元年(1868年)、加賀藩の軍艦奉行・稲葉助五郎をはじめ、学生の神田清右衛門・不破与四郎・馬島健吉らとともに欧州へ渡航した[2]。その後、明治6年(1873年)には、仏国留学生であった入江文郎の自筆資料中に、黒川が「県費留学生」「石川県出身」「1869年4月フランス着」「パリ法律大学校在学」として記録されている[2]。
帰国後は法曹官僚として登用され、明治7年(1874年)には松下直美・谷井元次郎らとともに明法大属となり、翌明治8年(1875年)に司法少丞に任じられ、正七位を叙せられた[1]。明治10年(1877年)には司法少書記に転じて従六位、明治12年(1879年)には太政官少書記官を兼務した[1]。
明治14年(1881年)に司法権大書記官へ昇進し正六位、明治15年(1882年)には司法大書記官となって従五位に叙せられた[1]。明治17年(1884年)6月13日には外務大書記官兼外務書記官としてローマ在勤となり、外交実務にも携わっている[1]。
その後、明治21年(1888年)頃には勲六等をもって無任所公使館参事官(奏任一等)となり、晩年には行政裁判所評定官を務めた[1]。
脚注
参考文献
- 『東京大学史紀要 Journal of the history of the University of Tokyo(16)』東京大学文書館、1998年。
- 『法政大学史資料集 第16巻』法政大学、1993年。
東京大学総長(司法省生徒課長/第七局長:1880年 - 1881年/1881年 - 1884年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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