黒沢三一
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経歴
秋田県仙北郡太田町東今泉(現在の大仙市太田町東今泉)に大信田七重郎の三男として生まれる[3]。1915年の春に黒沢重四郎(後に町議となる黒沢良太郎)の家に奉公し、翌年に黒沢コナミと結婚した[3]。本業は大工であった[3]。
1922年に日三市鉱山の祭典に飛び入り参加し1等賞になり有名になった[3]。1927年に飾山囃舞踊団に加わった[1]。1930年に東京の第5回全国郷土舞踊民謡大会に出場した[1]。1931年に大阪で初のレコーディングを行った[1]。1932年に仙北歌踊団に入った[1]。1938年に上京しレコーディングを行い、全国的に好評を得た[1]。特にタント節が有名であり、荷方節、秋田甚句、お山ッコ、生保内節、秀子節、飴売り節など20数曲をレコードに吹き込んだ[3]。
1940年に秋田県派遣皇軍慰問団として中国各地を慰問した[1]。1949年に病気で倒れ歌えなくなり、自身が以前吹き込んだレコードを電蓄で聴き過ごしていた[3]。