黒田家代官屋敷
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| 黒田家代官屋敷 (黒田家住宅) | |
|---|---|
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主屋(2022年4月) | |
| 情報 | |
| 用途 | 代官屋敷 |
| 竣工 | 文久元年(1861年)頃 |
| 所在地 |
〒437-1514 静岡県菊川市下平川862−1 |
| 座標 | 北緯34度41分56.8秒 東経138度5分3.6秒 / 北緯34.699111度 東経138.084333度座標: 北緯34度41分56.8秒 東経138度5分3.6秒 / 北緯34.699111度 東経138.084333度 |
| 文化財 | 重要文化財 |
| 指定・登録等日 |
1973年6月2日 1993年3月20日(追加登録) |
黒田家代官屋敷(くろだけだいかんやしき)は、遠江国城東郡嶺田(現・静岡県菊川市下平川)にあった代官屋敷。
1973年(昭和48年)6月2日、主屋と長屋門が黒田家住宅(くろだけじゅうたく)として重要文化財に指定された。1993年(平成5年)3月20日には米蔵・東蔵・宅地(濠を含む)が重要文化財に追加指定され、屋敷構え全体が保存されることとなった。
建築



以下の物件が「黒田家住宅」として重要文化財に指定されている。
- 母屋
- 長屋門
- 米蔵
- 東蔵
- 宅地 10798,00平方メートル(宅地、池沼、山林、田)宅地内の稲荷社、金山神社、地神社を含む[2]
- 附(つけたり)指定物件:西蔵、家相図2枚、絵図1枚
宅地は南北約100メートル、東西約80メートルで、周囲に濠をめぐらす。南に長屋門を開き、その東脇に米蔵が建つ。門の北側の敷地ほぼ中央に主屋が建ち、その背後に東蔵・西蔵が並んで建つ。
主屋は桁行21.6メートル、梁間14.1メートル、寄棟造、桟瓦葺きとする。この建物は、安政元年(1854年)の大地震後に建立されたものと考えられている。黒田家には地震前の嘉永3年(1850年)と地震後の文久元年(1861年)の2枚の家相図が伝わるが、両者に描かれる建物は別のものであり、現存する主屋は後者の家相図に描かれるものである。主屋は太い柱を多数立て、建物の中心部には桁行(東西)方向に4尺(約1.2メートル)幅で2列の柱列があり、構造を堅固にしている。こうした堅固な構造は、地震に備えたものとみなされる。上述の2列の柱列の間の4尺幅の空間は、廊下、床の間等に利用されている。平面は東側を土間とし、床上部は南側は中の間、仏間、玄関の間、客座敷とし、北側は台所、茶の間、納戸などの内向きの空間とする。接客空間である玄関の間と客座敷は書院造とする。
長屋門は桁行20.6メートル、梁間4.7メートルの長大な門で、東寄りに出入口を設け、その左右は部屋や蔵とする。主屋より古い18世紀半ばの建築と推定される。[3]
米蔵と東蔵は主屋と同じ19世紀半ばの建築であり、重要文化財の附(つけたり)指定となっている西蔵は明治32年(1899年)の建築である。[4]
黒田家は、江戸時代の代官屋敷の格式を伝え、文久元年(1861年)の家相図に描かれる屋敷構えが良好に保存されている点で文化遺産としての価値が高く、付属建物、宅地を含めて重要文化財に指定されている。