龍泉寺 (山口市)
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位置
北緯34度9分49.4秒 東経131度27分38.9秒 / 北緯34.163722度 東経131.460806度座標: 北緯34度9分49.4秒 東経131度27分38.9秒 / 北緯34.163722度 東経131.460806度
山号
溫湯山
宗派
浄土真宗本願寺派
| 龍泉寺 | |
|---|---|
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| 所在地 | 山口県山口市前町10-31 |
| 位置 | 北緯34度9分49.4秒 東経131度27分38.9秒 / 北緯34.163722度 東経131.460806度座標: 北緯34度9分49.4秒 東経131度27分38.9秒 / 北緯34.163722度 東経131.460806度 |
| 山号 | 溫湯山 |
| 宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 室町時代 |
| 法人番号 | 2250005000357 |
山口県山口市前町の石州街道沿いにある浄土真宗の寺院。
歴史
寺伝によると、弘法大師が806年(大同元年)に蘭若な寺院として始まり、後に浄土真宗に改めた[1]。
大内義興(おおうちよしおき)が足利義稙(あしかがよしたね)を山口に招いた際に、大内義興が病に倒れた。一人の老僧が大内義興に小壺の水を注ぎながら、真言を唱えたところ治癒された[2]。1525年(大永5年)、足利義稙が大内義興に龍泉寺と勅額を下したとされている[3]。
1864年(元治元年)5月1日に公家の四条隆謌が入り、次いで5日にやはり公家の東久世通禧も龍泉寺に入る。
龍泉寺は東久世通禧と四条隆謌の二卿が11月まで仮寓したため、「前町御殿」と呼ばれる。
この間、住職一家は向かいの廣瀬家(廣瀬政祐の家)に仮寓していた。
1864年(元治元年)5月8日に錦小路頼徳の遺体が下関から運ばれ、長州藩の毛利元徳を喪主として葬儀が営まれる。
1864年(元治元年)6月16日涼台が落成。
1866年(慶応2年)5月16日から7月30日まで、笠間藩の儒学者である加藤桜老の仮寓先になる[4]。
1938年(昭和13年)に国家総動員法が公布され、11月末に種田山頭火は山口市小郡の其中庵(ごちゅうあん)から龍泉寺の上隣の四畳一間に移り風来居(ふうらいきょ)と呼び中原中也の慕う若き詩人たちと交流した[5]。


