ムエ

From Wikipedia, the free encyclopedia

ムエMouais)は、フランスペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県コミューン

(arrondissement) シャトーブリアン=アンスニ郡
概要 Mouais, 行政 ...
Mouais

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(département) ロワール=アトランティック県
(arrondissement) シャトーブリアン=アンスニ郡
小郡 (canton) ゲムネ=パンフォ小郡
INSEEコード 44105
郵便番号 44590
市長任期 イヴ・ダニエル
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:communauté de communes Châteaubriant-Derval
人口動態
人口 384人
2015年
人口密度 39人/km2
住民の呼称 Mouaisiens[1]
地理
座標 北緯47度41分47秒 西経1度38分36秒
標高 平均:m
最低:9m
最高:61m
面積 9.93km2
Mouaisの位置(フランス内)
Mouais
Mouais
公式サイト mouais.fr/
テンプレートを表示
閉じる

地理

県内のムエの位置

県北部に位置し、シャトーブリアンの北西20キロメートル、レンヌの南46キロメートル、ナントの北54キロメートルのところにある[2]。面積は993ヘクタールしかなく、県最小の面積のコミューンの1つである。境界を接するコミューンはデルヴァル、リュザンジェ、シオン・レ・ミーヌ、イル=エ=ヴィレーヌ県グラン=フジュレ、ラ・ドミヌレである。

町を、北西から南東方向に県道123号線が通る。ヴィレーヌ川支流のシェール川が流れる。川は、ムエと隣接するデルヴァルとの境界の一部となっている。

由来

ルドンの特許状台帳において、ムエは860年頃の文章でMoueとして記載されている[3]。1062年10月25日の文書ではMoia[4]、1104年にはMoyaであった[5]。オジェによると、古いタイトルEcclesia Sanctissimœ-Trinitatis de Mouayaを見ることができる[6]。ナント司教区が教区を列挙した文書Nouveau dénombrement du royaume, par généralitez, élections, paroisses et feux(1720年にパリで出版)においては、教区はMoisとして記されていた[7]

ブルトン人の聖人がこの曖昧な地名を生み出したとするなら、聖人の名であるMoëに由来しているかもしれない[8]

地元で話されるオイル語の一種、ガロ語では地名は Móaèとなる[9]

歴史

教区教会

シャトーブリアン地方同様、ムエの地域にはケルト人が定住し、その後ガロ=ローマ人が移ってきた。1532年の合同法でフランス王国に組み込まれる以前には、ブルトン人の土地だった。

864年、ルドンのサン・ソヴ―ル修道院(ベネディクト会)の修道士たちが、この地に修道院を建てた。修道院にはシェール川両岸の土地が与えられた。大西洋からもロワール川からも遠かったにもかかわらず、修道院は10世紀の間にノルマン人たちの略奪にあい、破壊されている。1062年、ナント司教キリアックはサン・ソヴ―ル修道院院長に破壊された修道院を与えることで、教区を創設した[10]

ル・クレール・ド・ラ・フアイエの死後、15世紀に出来事が起きた。ピエール・ル・メストル・ド・ラ・ガルライエが、ムエの教会のアンフー(enfeu、墓または石棺を置くために教会建物内につくられる壁龕のこと)の権利を得ようとした。このため、彼は既にあった一族の紋章を破壊した。この行いのため、ラ・ガルライエ家の領主は1494年4月6日にレンヌで裁かれた[10]

1720年、ムエ在住の女性1人が、ブルターニュで反税制蜂起を試みたポンカレックの陰謀(fr)の際、連絡係を務めた容疑で投獄された。1754年、ムエ教区は城代区に昇格した[10]

人口統計

さらに見る 1962年, 1968年 ...
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2005年 2015年
377 356 331 302 280 259 318 384
閉じる

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[11]、2006年以降INSEE[12][13]

参照

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI