羅森
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科挙に通るほどの教養があったとされているが、生い立ち、ペリーに随行するまでの身分はよくわかっていない[2]。 はじめ清朝で官吏として働いていたが、太平天国の乱ののち、香港の英国領事館で秘書として働くようになったという[1]。
ペリーの公式通訳官、サミュエル・ウィリアムズ(中国名:衛三畏)はペリーの2回目の来航時(1854年)、香港で羅森を雇った[3][注 1]。ウィリアムズには中国での長期滞在経験があり、中国語に通じていた人物であるが[5]、外交文書の作成や筆談のために教養のある人物を求めていた[5]。
羅森は文人として漢詩・漢文に熟達しており、英語も非常に達者であったが、日本語は解さなかった[5]。いっぽう江戸幕府の役人は英語はできなかったが四書五経などの素読を通じて漢文は書けた。したがって日米和親条約の締結交渉では羅森が筆談通訳として活躍した。日米和親条約には漢文版があった[6]。
ペリー一行は琉球、横浜、下田、箱館等に寄港した。その間羅森は、林復斎(大学頭)[7]、松崎柳浪(満太郎)[7]、平山省斎(謙二郎)[7]、堀達之助[7]、名村五八郎[7]、合原猪三郎[7]、吉田松陰[7]、大槻磐渓[7]、関藍梁[7]、松前勘解由[1]など、多くの人々と詩文をやり取りした[7]。羅森の肖像・言行は、箱館町名主の小島又次郎による『阿墨利加一条写』に記録されている[1]。
羅森は日本・琉球訪問時に日記をつけていた[5]。羅森は香港に帰着後、琉球と日本に関する見聞記を発表し、1854年11月に英華書院から発行された月刊誌「遐邇貫珍(中国語版、英語版)」に中国語の「日本日記」が掲載された[5][1]。これは、近代(アヘン戦争以後)の中国人による日本の見聞記が公刊された初の事例である。日記を英語に翻訳したものが、合衆国議会に提出された公式記録『ペリー艦隊日本遠征記』(1856–1857)に収録されているが、そこでは羅森の名は伏せられて「ある中国人」とされている[5][8][9]。『ペリー艦隊日本遠征記』の編纂者フランシス・L・ホークスは羅森について、非常に教養があって観察眼が鋭いと評し、アメリカ人の考え方にとらわれず東洋人の視点で見た記録であるとして、羅森の日記を『ペリー艦隊日本遠征記』に収録することにしたと述べている[10]。羅森は琉球と日本の人と社会について、純朴であって治安が良いとおおむね好意的に描いている[11]。『遐邇貫珍』は日本にももたらされ、中国人から見た日本観の情報源ともなった[1]。
また、羅森は来日時にアヘン戦争以降の清の事情(太平天国の乱を含む)を著した自筆の記録「南京紀事」を携えていた[1]。吉田松陰は「南京紀事」(別名「満清紀事」)に注釈を加えて「清国咸豊乱記」として翻訳し、幕末の思想に影響を与えた[12]。
羅森は日本滞在中、日本人から扇子などに漢文を書くことを頼まれたり[13]、自筆入りの扇子を送ったりした。箱館入港時に応接した松前藩家老・松前勘解由に贈った扇子は子孫から松前町に寄贈され、町の有形文化財となっている[14]。
脚注
注釈
出典
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 斯波義信 1982, p. 5.
- ↑ 陶徳民「羅森来日の契機について」『或問 WAKUMON』第91巻1 pp.91-92、近代東西言語文化接触研究会、2000年9月10日。
- ↑ Biography of Samuel Wells Williams in The Far East, New Series, Volume 1, December 1876, pages 140-2.
- ↑ サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ 2022, p. 154.
- 1 2 3 4 5 6 程永超 2012, p. 133.
- ↑ 垂秀夫「歴史に恥じない外交を」日曜コラム 『産経新聞』2024年9月8日。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 程永超 2012, p. 137.
- ↑ ツー ティモシー ユンフイ「黒船に乗ってきた中国人」『関西学院大学国際学研究』第9巻1 pp.21-43、関西学院大学、2020年3月30日。
- ↑ 方 亮「『遐邇貫珍』に関する一考察:日本関係記事をめぐって」『人文公共学研究論集』42 pp.1-18、千葉大学、2021年3月29日。
- ↑ 程永超 2012, p. 140.
- ↑ 程永超 2012, pp. 134–135.
- ↑ 陶 徳民「松陰における太平天国認識とその政治思想の転換」『日本思想史学』36 pp.54-56、日本思想史学会、2004年。
- ↑ サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ 2022, p. 268.
- ↑ “斉藤流松前家資料” (pdf). 松前町. 2024年10月9日閲覧。
- ↑ 尾佐竹猛『幕末遣外使節物語』講談社 <講談社学術文庫>、1989年、173頁。ISBN 4-06-158907-5。
- ↑ “革命老人罗延年先生”. 台湾大陆同乡会. 2021年9月24日閲覧。
参考文献
- サミュエル・ウェルズ・ウィリアムズ 著、洞富雄 訳『ペリー日本遠征随行記』講談社 <講談社学術文庫>、2022年。ISBN 978-4-06-528397-4。
- 程永超「羅森の目に映った「鎖国」と「開国」の日本」『アジアの歴史と文化』、山口大学アジア歴史・文化研究会、2012年。 NAID 120004185120。
- 斯波義信「函館華僑関係資料集」『大阪大学文学部紀要』1982年。 NAID 110004668252。http://hdl.handle.net/11094/11198。
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