1740年4月8日の海戦

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1740年4月8日の海戦

スペインの70門戦列艦プリンセサとイギリス艦レノックス、ケント、オーフォードの戦闘、1740年4月8日。1903年作、マドリード海事博物館英語版所蔵。
戦争ジェンキンスの耳の戦争
年月日1740年4月8日
場所ザ・リザード英語版から南西300マイル、フィニステレ岬
結果:グレートブリテン王国の勝利
交戦勢力
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国 スペイン スペイン王国
指導者・指揮官
グレートブリテン王国の旗 コルヴィル・メイン(Colvill Mayne スペイン パルロ・アグスティーノ・デ・ゲラ(Parlo Augustino de Gera
戦力
3等艦3隻 3等艦1隻
損害
戦死17
負傷40[1]
戦列艦1隻拿捕
戦死33
負傷100
捕虜517[1][2]

1740年4月8日の海戦英語: Action of 8 April 1740)はジェンキンスの耳の戦争中におきた、パルロ・アグスティーノ・デ・ゲラ率いるスペインの3等艦プリンセサ英語版とイギリス小艦隊(いずれも70門3等艦であったケントレノックスオーフォード、指揮官はレノックスの艦長コルヴィル・メイン)の間の戦闘。追跡戦ののち、プリンセサは拿捕され、イギリス海軍に編入された。

戦闘の版画、ピーター・モナミー英語版作。

1740年3月25日、イギリス海軍本部にスペイン船2隻がブエノスアイレスを発ってスペインに向けて航行している、との知らせがもたらされた。命令がポーツマスへ下され、船3隻で構成された小艦隊、すなわち70門艦のケントレノックスオーフォードがレノックスの艦長コルヴィル・メインを指揮官として迎撃しようとした[2]サー・ジョン・バルチン英語版の艦隊の一部であった小艦隊にリッポンセント・オールバンズ英語版の2隻が合流、3月29日の午前3時にポーツマスを発ってイギリス海峡を下った[2]。しかしリッポンとセント・オールバンズは4月5日に艦隊からはぐれ、メインは航速を下げて待ったものの合流できなかった。8日、メインの小艦隊がザ・リザード英語版から南西300マイルのところを巡航している最中、北のほうに船が通っているところが発見された[2]

戦闘

小艦隊は船に追い付くと、その船がドン・パルロ・アグスティーノ・デ・ゲラ率いる、乗員650の64門艦プリンセサであることが判明した[1][3]。イギリス艦隊が午前10時に追跡を始めると、プリンセサは掲揚していたフランス国旗を降ろして、代わりにスペイン国旗を掲揚した。メインは「国からの俸給を受け取った以上、あなたたちは国のためにどんな危険にも立ち向かうと承諾した。今がその試練である。男らしく戦え、勇気だけがあなたの望みだ。」(When you received the pay of your country, you engaged yourselves to stand all dangers in her cause. Now is the trial; fight like men for you have no hope but in your courage.)と言った[3]。2時間半続いた追跡ののち、イギリス艦隊はプリンセサに追いつき、艦側砲での砲撃戦を始めた。やがてプリンセサは航行不能に陥ったが[2]、イギリス艦隊はプリンセサが降伏するまで砲撃を続けた[2]。両軍の損害はプリンセサが戦死33、負傷約100、ケントは戦死8、オーフォードは戦死8、レノックスは戦死1だった[1]。イギリス艦隊の負傷者は40人でケントのデュレル艦長(Durell)も含まれていた。彼は戦闘で片腕を失った[1]

スペイン側の資料によると、プリンセサは戦闘以前にはすでに損傷していた。プリンセサはイギリス船3隻が追跡してくる中、6時間もの戦闘を経てようやく降伏した。プリンセサはレノックスを大きく損傷させ、ケントを追い払ったが、3隻目の敵艦には敵わず降伏した。プリンセサの損害は戦死70と負傷80であった。その後、プリンセサはポーツマスまで連行されて修理を受け、以降イギリス海軍に使われた。

その後

脚注

参考文献

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