アンギラ島の戦い

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アンギラ島の戦い

フランス軍が上陸したランデヴー湾、2008年撮影。
戦争オーストリア継承戦争
年月日1745年6月1日グレゴリオ暦)/5月21日(ユリウス暦
場所カリブ海アンギラ島
結果:グレートブリテン王国の勝利[1]
交戦勢力
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国 フランス王国の旗 フランス王国
指導者・指揮官
グレートブリテン王国の旗 アーサー・ホッジ英語版 フランス王国の旗 ラ・トゥシェ大尉(La Touché
戦力
正規軍と民兵150[2] フリゲート2隻
私掠船3隻
兵士と海兵隊760[1]
損害
死傷者7[3][4] 戦死と溺死35
負傷65[5]
捕虜50[6]

アンギラ島の戦い(アンギラとうのたたかい、英語: Battle of Anguilla)はオーストリア継承戦争中の1745年6月1日グレゴリオ暦)、英領アンギラでおきた戦闘。フランス軍は兵士760人を上陸させて内陸へ進軍したが、イギリス軍の反撃に遭って100人の損害と50人の捕虜を出して逃走した[3][5]

1740年に勃発したオーストリア継承戦争インドカリブ海におけるフランスとイギリスの植民地にも飛び火していた。輸送船団や植民地はお互いの攻撃目標である同時に、脅威でもあった[1]

1744年ん、イギリス民兵、奴隷と正規軍の混成軍300人は私掠船2隻でセントクリストファー島から出撃、隣のセント・マーチン島のうちフランス領だった半分(サン・マルタン)に侵攻して1748年のアーヘンの和約で返還するまで占領した[2]。1745年5月末、ラ・トゥシェ大尉(La Touché)はフランス軍海軍のフリゲート2隻と私掠船3隻を率いてマルティニーク島から出撃、報復としてアンギラに侵攻した[6]

アンギラ島にいるイギリス軍は脅威に気づいており、島の駐留軍と民兵計150人を準備した[3]

襲撃

5月21日朝、戦艦2隻(36門艦と32門艦)、私掠船3隻、テンダーボートとして使われたオランダ船2隻で構成されたフランス艦隊が突如現れた[4]。ラ・トゥシェはランデヴー湾(Rendezvous Bay)で759人を上陸させた[4]。奇襲での上陸が成功したことでフランス軍の士気が上がったが、一方イギリス軍は人数で大幅に下回っていたため士気が下がった[3][4]。アンギラ副総督のアーサー・ホッジ英語版は守備軍を3個小隊に分けてそれぞれ胸墻英語版の後ろに隠れさせてフランス軍の通過を待った[6]。小隊の1個目はリチャードソン大佐(Richardson)率いる正規軍22人であった[4]。フランス軍が待ち伏せ場所まで進軍すると、イギリスの小隊は規律を保ちつつ精度の高い銃撃を行い、フランス軍に甚大な損害を強いた。フランス軍は数分で規律を失って逃走した[4]。15分以内にはほかの小隊の戦闘も同じ経過をたどった[3]

フランス軍がランデヴー湾に停泊している船へ撤退しているとき、イギリス軍は反撃に転じた。その結果、フランス軍は急いで乗船しようとして大混乱に陥り、撤退が潰走に近い形となった[1]。フランス艦隊が砲撃を開始すると、イギリス軍は追撃を停止、捕虜の確保に転じた。多くのフランス軍は乗船しようとしたときに溺死した[3]

イギリス軍は翌日の攻撃を予想したが、フランス軍は大損害を受けたため攻撃を継続しようとせず、マルティニーク島へ撤退した[6]

その後

脚注

参考文献

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