1923年の政治 From Wikipedia, the free encyclopedia 1923年の政治(1923ねんのせいじ)では、1923年(大正12年)の政治分野に関する出来事について記述する。 できごと 1月 1月1日 - 東京・大阪に少年審判所を設置。 1月11日 - フランス・ベルギーがドイツの賠償不払いを口実にルール地方を占領(ルール占領)。 1月26日 - 孫文、ソ連極東部代表のアドリフ・ヨッフェと上海で会談。孫文・ヨッフェ共同宣言発表[1][2]。 2月 2月1日 - 後藤新平の招きで、ヨッフェソ連極東部代表が来日。日ソ国交回復について会談。 2月11日 - 東京・大阪・京都・八幡などで過激社会運動取締法、労働組合法、小作争議調停法の3法反対デモ開催。各地で普通選挙即時断行デモも頻発。 2月21日 - 孫文、大元帥に就任。第3次広東政府成立。 2月23日 - 東京で河野広中、尾崎行雄、三木武吉らを先頭に普選即時実行要求デモ開催。 3月 3月1日 - 衆議院・憲政会・革新倶楽部などが上程した普通選挙法案を否決。 3月18日 - 奈良県川西村(現在の川西町)で、水平社社員と八尾国粋会会員が対立。19日に衝突。20日和解。 3月30日 - 工場法改正(適用年齢の引き上げ他)。 4月 4月5日 - 日本共産青年同盟(後の日本民主青年同盟)設立。 4月14日 - ワシントン軍縮条約の了解事項により、中国での日本の特殊権益を認めた石井・ランシング協定破棄。 5月 6月 6月5日 - 堺利彦ら日本共産党党員30余人が検挙される(第1次共産党事件)。 6月28日 - 川上俊彦前ポーランド公使とヨッフェによる、日ソ非公式予備交渉開始。 7月 7月24日 - ムスタファ・ケマル(ケマル・アタテュルク)首班のトルコ政権が連合国とローザンヌ条約を締結。 7月31日 - 日ソ非公式予備交渉終了。 8月 8月3日 - ハーディング米大統領の死去により、副大統領クーリッジが第30代米大統領に就任。 8月13日 - ドイツでヴィルヘルム・クーノ内閣総辞職。グスタフ・シュトレーゼマン内閣成立。 8月25日 - 加藤友三郎首相死去、加藤友三郎内閣総辞職。内閣総理大臣臨時代理に内田康哉。 8月28日 - 山本権兵衛元首相に大命降下。 8月31日 - イタリアがギリシャのケルキラ島を占拠(コルフ島事件)。 9月 9月1日 - 関東大震災発生。 9月2日 東京市他郡部に戒厳令発令(11月15日まで)。 第2次山本内閣発足。 朝鮮人暴動の流言のため、朝鮮人数千人が虐殺される。 9月3日 - 戒厳地域を東京府・神奈川県に拡大。 9月4日 戒厳地域を埼玉県・千葉県に拡大。 亀戸事件。 9月7日 支払猶予令。 東京市内に夜間外出禁止令発令。 国際刑事警察機構設立。 9月9日 - ムスタファ・ケマルが共和人民党を創設。 9月16日 - 甘粕正彦憲兵大尉が大杉栄、伊藤野枝らを殺害(甘粕事件)。 9月19日 - 帝都復興審議会設置。 9月20日 甘粕事件のため福田雅太郎戒厳司令官更迭。後任山梨半造大将。 独バイエルン州非常事態宣言。州総監にグスタフ・フォン・カールが就任。 9月23日 - スペインでプリモ・デ・リベラ軍事政権が成立。 9月27日 - 帝都復興院発足。 10月 10月5日 - 中華民国で大総統選挙が実施され、曹錕が当選。 10月15日 - 五相会議で普通選挙案要綱を決定。 10月16日 - ドイツ、レンテンマルクの発行を決定。 10月22日 - 普通選挙案要綱を閣議決定。 10月29日 - トルコ共和国成立。 11月 11月8日 - ミュンヘン一揆。 11月23日 - 独、シュトレーゼマン内閣総辞職。 12月 12月10日 - 第47臨時議会召集。 12月21日 - ネパールがイギリスから独立。 12月27日 - 虎ノ門事件。 12月25日 - 第48議会召集。 12月29日 - 第2次山本内閣総辞職。 脚注 [1]See A Brief Chronology of China Since 1915 in K. S. Karol's China. The Other Communism, New York, Hill and Wang, 1967, ISBN 0-8090-1344-4 (1968 pbk) [2]天児 2004, p.64 参考文献 天児慧 著、礪波護ほか編 編『巨龍の胎動 毛沢東vs鄧小平』講談社〈中国の歴史 = A history of China 11〉、2004年11月。ISBN 4-06-274061-3。この項目は、政治に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 政治学/ウィキプロジェクト 政治)。表示編集 Related Articles