天児慧

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天児 慧(あまこ さとし、1947年7月17日 - )は、日本政治学者早稲田大学名誉教授、第16代アジア政経学会理事長。日本国際フォーラム政策委員[1]も務める。1999年から2001年までアジア政経学会理事長を務めた。

出生から修学期

1947年、岡山県で生まれた。早稲田大学教育学部で学び、1971年に卒業。東京都立大学大学院法学研究科に進み、1974年に修士課程を修了。一橋大学大学院社会学研究科博士課程に進学し、指導教官は西順蔵[2]。1981年に博士課程を満期退学。

中国近現代史研究者として

1982年、琉球大学助教授に就いた。1986年、学位論文『中国革命と基層幹部:内戦期の政治動態』を一橋大学に提出し、社会学博士号を取得[3]。1986年から1988年まで外務省嘱託専門調査員を兼任。1990年、共立女子大学国際文化学部助教授となり、1993年に同教授昇格。1994年、青山学院大学国際政治経済学部教授となった。1999年、アメリカン大学客員教授。

2001年、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授に転じた。2006年から2008年まで同研究科長兼アジア太平洋研究センター所長。2007年から早稲田大学グローバルCOEプログラム「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点(GIARI)」拠点リーダー[4]。2010年、オーストラリア国立大学アジア太平洋学部の客員教授[5]。同年、人間文化機構現代中国地域研究幹事拠点拠点幹事長(早稲田大学アジア研究機構現代中国研究所所長[6])。2016年より東京大学大学院総合文化研究科客員教授[5]。2018年に早稲田大学を定年退任し、名誉教授となった。

学界では、1999年から2001年までアジア政経学会理事長を務めた[7]

受賞・栄典

研究内容・業績

専門は中国近現代史で、中国政治、現代中国論、現代アジア論、東アジア国際関係論に関する著作がある。

発言

日台関係について
  • 日台関係について、「重要なのは、中台関係の枠組みをよりよいものにしていくことに、日本がどれだけ貢献できるかにある。日本が両岸の不戦協定のようなものを積極的に提唱していくことは可能だ」と述べている[8]
日中関係について
  • 日中両共産党の関係正常化について、日本側にとっては、日米関係とともに日本外交の車の両輪である日中関係に、新たに共産党という要素が加わったことを意味する。中国側は、日中関係重視という路線の下、今回の関係正常化を相当意識的、戦略的に進めており、自民党や社民党といった従来の相手に加えて、共産党というもう一つのカードを持つことで、選択の幅を広げたことになる[9]
  • 対中円借款について、円借款は日中関係発展プロセスの重要な柱。日中共同宣言に「中国側は日本が行ってきた経済協力に感謝の意を表明」との文言が入ったのは、中国も客観的に円借款を評価する姿勢に変わったからだろう。[10]
  • 歴史認識について、まず、明治維新以来のアジアへのかかわりが「すべて侵略的」「アジアを犠牲にした」というのは言い過ぎで、真摯にアジアとの連帯を求めた多くの人々もいたということである。もう一つは、少なくとも日韓併合以降第二次大戦終結までは、日本側の動機や原因は別としても、結果的に「侵略」と言わざるを得ず、アジアの国と人々に多大な損害と迷惑をかけたということだ。この点に関しては、日本人として謙虚に主体的に認識すべきである。[11]

家族・親族

著書

脚注

外部リンク

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