2004年ロシア航空機爆破事件
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| 爆破テロの概要 | |
|---|---|
| 日付 | 2004年8月24日 |
| 概要 | 爆破テロ |
| 現場 |
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| 負傷者総数 | 0 |
| 死者総数 | 89 (全員) |
| 生存者総数 | 0 |
| 第1機体 | |
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事件の2ヶ月前に撮影された事故機(塗装はコガリムアビアのもの) | |
| 機種 | ツポレフ Tu-134A-3[1] |
| 運用者 |
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| 機体記号 | RA-65080 |
| 出発地 |
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| 目的地 |
|
| 乗客数 | 34 |
| 乗員数 | 9 |
| 負傷者数 (死者除く) | 0 |
| 死者数 | 43 (全員) |
| 生存者数 | 0 |
| 第2機体 | |
|
事件の2ヶ月前に撮影された事故機 | |
| 機種 | ツポレフ Tu-154Б-2[2] |
| 運用者 |
|
| 機体記号 | RA-85556 |
| 出発地 |
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| 目的地 |
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| 乗客数 | 38 |
| 乗員数 | 8 |
| 負傷者数 (死者除く) | 0 |
| 死者数 | 46 (全員) |
| 生存者数 | 0 |
2004年ロシア航空機爆破事件(2004年ロシアこうくうきばくはじけん)は、2004年8月24日の23時前後にロシアの国内線を飛行する航空機2機が相次いでテロリストによって爆破された事件[3][4]。
爆破された航空機は2機とも首都モスクワのドモジェドヴォ空港を出発したものであり、合計で89人の死者を出した[5][6]。
なおこの事件はいずれもモスクワ時間圏内で発生しており、この記事における時刻の表記はモスクワ夏時間(協定世界時+4)に従うものである。
エア・ボルガ1303便
エア・ボルガ(事件発生当時はボルガ・アヴィアエクスプレス)1303便モスクワ発ヴォルゴグラード行ツポレフTu-134型機は、モスクワのドモジェドヴォ空港を22時30分に離陸した後、22時56分にモスクワの南東180kmにあるトゥーラ州上空で消息を絶った[3]。その数時間後に地上にて航空機の残骸が発見されたが、地上にいた目撃者は航空機が墜落する直前に激しい爆発を起こしていたのを視認していた[3][4]。これにより1303便に搭乗していた乗客34人、乗員9人の合計43人全員が死亡した[3][4]。
S7航空1047便
エア・ボルガ機が墜落した数分後、S7航空1047便モスクワ発ソチ行ツポレフTu-154型機が21時35分にモスクワのドモジェドヴォ空港を離陸後、レーダーから姿を消し墜落した[3]。インテルファクス通信によると匿名の政府筋の話として、1047便は22時59分にロストフ州上空でハイジャックの危険性があると報じられていたという[3][4]。
航空機はレーダーから消失後すぐに墜落したとみられ、乗客38人、乗員8人の合計46人全員が死亡した[4]。航空機の残骸は翌25日の朝にロストフ州のカメンスク=シャフチンスキーで発見されている。
首謀者
この2件の航空機墜落はほぼ同時に起こっており、即座にテロの可能性が疑われ、当時の大統領であるウラジーミル・プーチンはロシア連邦保安庁に事故の調査を命じた[3]。8月28日、連邦保安庁は墜落した両機体からトリメチレントリニトロアミン (RDX) による爆発の痕跡を突き止め、8月30日にはロシアのイタルタス通信が、連邦保安庁が「疑いの余地は無く」テロリストによる攻撃と断定したことを報じた[7][8]。
これについて、ロシアではあまり知られていなかった「Islambouli Brigades」という組織が犯行声明を発表したが、この声明の内容が真実であるかどうかは未だに明らかになっていない。この組織は両機に併せて5人のテロリストを搭乗させていたとしているが、専門家は5人ものテロリストを航空機に搭乗させる事が出来る可能性については否定的である。
その後の調査で、爆薬を起爆させたのはグロズヌイに住むチェチェン人の女二人であることが明らかになった[9]。このうちボルガ・アヴィアエクスプレスを爆破した犯人の兄弟はロシア当局による拘束を恐れて事件発生から3年も前に姿を晦ませている[10]。
さらに、チェチェン独立派の強硬派指導者であるシャミル・バサエフが9月17日にウェブサイトにて別の犯行声明を発表した[11]。彼はIslambouli Brigadesによって出された声明を否定するとともに、爆薬に掛かった費用が4000米ドルであったことなどを明かしている[12]。
ロシアでは2004年2月にモスクワ地下鉄で41人が死亡する爆破事件が発生していたほか、直後の8月31日には再びモスクワ地下鉄の駅で爆発が起こり10人が死亡[13]、そして9月1日には北オセチア共和国で多くの子供を含む386人が死亡したベスラン学校占拠事件が発生するなどテロ事件が相次いでいた[14][15][16][17]。なおベスラン学校占拠事件を首謀したのはシャミル・バサエフである[18][19]。