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A.J.バーネット

アメリカの野球選手 (1977 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

アラン・ジェームズ・バーネットAllan James Burnett, 1977年1月3日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州リトルロック出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

生年月日 (1977-01-03) 1977年1月3日(49歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
A.J.バーネット
A. J. Burnett
2017年6月6日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アーカンソー州リトルロック
生年月日 (1977-01-03) 1977年1月3日(49歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト8巡目(全体217位)でニューヨーク・メッツから指名
初出場 1999年8月17日
最終出場 2015年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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経歴

プロ入りとメッツ傘下時代

1995年MLBドラフト8巡目(全体217位)でニューヨーク・メッツから指名を受け、プロ入り。

マーリンズ時代

1998年2月にアル・ライタートレードで、フロリダ・マーリンズへ移籍。

1999年8月17日にロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たし、初勝利を記録した。

2001年5月12日のサンディエゴ・パドレス戦でノーヒットノーランを達成。球団タイ記録となる9四死球を出しながらのノーヒッターとなった[1]。この時、バーネットは129球を投じたが、ストライクは半分の65球しかなかった[2]。この年初めて規定投球回を上回り、2桁勝利を達成した。

2002年は8月19日から9月13日までの間故障者リスト入りとなったが、12勝9敗、203奪三振(リーグ6位)、5完封(リーグ1位)の成績を記録し、ホーム戦では全5完封を記録し、被安打率.190(リーグ3位)の好成績を記録した[3]

2003年に4月29日の登板の後、トミー・ジョン手術を受けて全休した。

2004年6月3日の登板でメジャー復帰を果たし、7勝6敗、防御率3.68の成績を記録した。

2005年は、12勝12敗、防御率3.44という成績で終えた。5月31日のピッツバーグで行なわれたピッツバーグ・パイレーツ戦で先発登板した際、PNCパークのスピードガンが時速104マイル(約167km/h)を記録[4]。これまで世界最速であった、サンフランシスコ・ジャイアンツの元守護神ロブ・ネンニューヨーク・ヤンキースランディ・ジョンソンの持つ時速102マイル(約164km/h)を更新したのか、と騒がれた。しかし、球場関係者がスピードガンを調整したところ、時速99マイル(約159km/h)程度に落ち着いたことや、バーネットが前回の先発予定試合を右ヒジの炎症で回避したことから、疑問の声が多く[要出典]、世界最速新記録には認定されていない。一方で対戦打者のフレディ・サンチェスは「ホントにあのボールの速さはこれまで体験したことのないすごいものだった。みんなは彼のスピードに懐疑的だったけど、僕はあの時、本当に104マイル出ていたと信じているよ」と語っている[5]

ブルージェイズ時代

トロント・ブルージェイズ時代
(2008年5月22日)

2006年、5年総額5500万ドルという契約でトロント・ブルージェイズに移籍[6]。開幕を故障者リスト入りで迎え、4月15日に故障者リストから復帰を果たし、同日のシカゴ・ホワイトソックス戦で先発した[7]。シーズン2試合目の登板となった4月21日のボストン・レッドソックス戦で右肩痛により長期離脱を余儀なくされる(ただし、MRIや医師の診断によると、肩の異常は認められていない)[要出典]。2006年後半から復帰し10勝を記録した。

2007年はDL入りを2回としたものの10勝を記録し、マーリンズ時代から数えて3年連続2桁勝利。奪三振数は投球回数を初めて上回る176を記録した。

7年連続で故障者リスト入りをしていたが、2008年はリスト入りすることなくリーグ最多の34試合に先発登板。防御率は前年より悪化したが、自己最多の18勝(10敗)を記録し、231奪三振で最多奪三振を獲得。バーネットの5年契約には3年目終了時に契約を破棄してFAとなる権利があるため、シーズン途中にシカゴ・カブスフィラデルフィア・フィリーズへ移籍の噂もあったが、J・P・リッチアーディGMが移籍を否定[8]。結局、移籍せずシーズンを終えた。

11月4日、契約に含まれていた破棄条項を行使し、フリーエージェントになることが決まった[6]

ヤンキース時代

ヤンキース時代(2009年)

FAとなったバーネットを巡っては、アトランタ・ブレーブスが4年総額6000万から6500万ドル(5年目のオプションを含めると8000万ドル)の金額を提示したが、ヤンキースがそれを上回る金額を提示[9]。そして、バーネットは12月18日に5年総額8250万ドルでヤンキースと合意[10]

ヤンキース1年目は、一度も先発を飛ばすことなく33試合に先発登板し、207イニングを投げて13勝9敗、防御率4.04を記録。6月20日のマーリンズ戦の3回に、MLB史上39人目となる「1イニング9球で3奪三振」(immaculate inning)を達成。正捕手のホルヘ・ポサダと相性が悪く、バッテリーを組むことを拒否した[11]。ポストシーズンでは5試合に登板、好不調の波が大きかったが、フィリーズとのワールドシリーズ第2戦で好投するなど、9年ぶりの優勝に貢献した。

2010年は10勝15敗、防御率5.26とフルに稼働したシーズンでは自己最悪の成績となった。9月には右目の周りに大きなを作って球場に現れ、様々な憶測を呼んだ[12]
シーズンの不調から地区シリーズでは先発を外れたが、テキサス・レンジャーズとのリーグ優勝決定戦の第4戦に登板、しかし6回を5失点で負け投手となった。

2011年も先発ローテーションを守ったが、11勝11敗、防御率5.15と成績を伸ばすことはできなかった。地区シリーズの第4戦のデトロイト・タイガース戦では他の先発陣が軒並み乱調の中、6回途中を1失点と勝利に貢献したが、結局チームは2勝3敗でシリーズを敗退した。

ヤンキースでの3年間は99試合(先発98試合)に登板して34勝35敗、防御率4.79。3年間先発投手としてフル回転した点で、前後してヤンキースに所属しながら登板することすらままならなかったカール・パバーノ井川慶とは異なるが、後述のように結局年俸負担付きで放出に至ったこともあり、高額な契約には見合わないとの見方が強く、彼らと同様、近年のヤンキースが締結したFA契約の中では代表的な失敗例として挙げられることも多い[13]

パイレーツ時代

ピッツバーグ・パイレーツ時代
(2012年6月14日)

ヤンキースとの契約期間は2年残っていたものの、チームはトレードによる放出を検討。ロサンゼルス・エンゼルスボビー・アブレイユとのトレードは東海岸への居住を望む家族の意向でバーネットが拒否したが、2012年2月19日、残りの契約2年総額3300万ドルのうち2000万ドルをヤンキース側が負担する条件のもと、マイナー2選手とのトレードで、パイレーツに移籍した。

2012年3月1日、打撃練習中にバントの自打球を頬に当てて骨折[14]。開幕を故障者リストで迎え、4月21日に復帰した。5月2日のセントルイス・カージナルス戦では2.2イニングを12失点と大炎上したが[15]、それ以外はフル回転し、2008年に次いで2番目に多い16勝を記録した。

2013年4月17日のカージナルス戦で史上68人目、現役では4人目となる通算2000奪三振を達成。7月に故障者リスト入りしたものの30試合に先発登板し、防御率は自己最高の3.30、奪三振率(K/9)はリーグ1位の9.85を記録。チームの21年ぶりの勝ち越し・ポストシーズン進出に貢献した。オフの10月31日にFAとなった。

フィリーズ時代

フィラデルフィア・フィリーズ時代
(2014年7月1日)
バーネットの投球フォーム
(2014年7月6日)

2014年2月16日にフィリーズと1600万ドルの1年契約(2015年のオプション1275万ドル・トレード拒否権付き)[16]で契約した[17]

同年は5月20日、マーリンズ戦に勝利し、MLB全30球団勝利を達成した。しかし、全体的に成績を落とし、負け数は、ナショナルリーグのワースト1位だった。オフに2015年の契約オプションを破棄し、FAとなった。

パイレーツ復帰

2014年11月14日にパイレーツと850万ドルの1年契約を結んだ[18][19]。前述のように、フィリーズとの間ではより高額の契約オプション権を持っていたが、あえて年俸減で古巣を選んだ形になった。

2015年2月19日、同年シーズン限りで現役を引退する意向を表明した[20]。7月6日に自身初のオールスターゲームに選出された[21]

選手としての特徴

最多奪三振(2008年)、最高奪三振率[K/9](2008年、2013年)、最多与四球(2009年)、最多暴投(2009年、2011年)、最多与死球(2010年)を相次いで記録していることが示すように、制球難の課題を抱えつつも、空振りを奪える威力のある球種を投げ分ける。軸となる91-94マイルの速球(フォーシーム、高速シンカー)の他、ナックルカーブ、チェンジアップが主な持ち球である。スライダーのように大きく変化するカーブは44%と高い空振り率を誇り、チェンジアップで多くのゴロを奪っている[22]

クイックが非常に苦手で、盗塁を許しやすい[23]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
1999 FLA 770004200.66718241.13732520330023163.481.50
2000 13130003700.30036482.28084432572046444.791.50
2001 2727210111200.478733173.11452083371287182784.051.32
2002 312975012900.571844204.115312905920314084753.301.19
2003 440000200.00010623.01821822212013124.701.57
2004 20191007600.538490120.0102938041137050493.681.17
2005 3232421121200.500873209.018412791719812097803.441.26
2006 TOR 212121110800.556577135.21381439381186167603.981.31
2007 252520010800.556691165.213123662121765074693.751.19
2008 3534100181000.643957221.12111986292311121091004.071.34
2009 NYY 333310013900.591896207.0193259701019517199934.041.40
2010 3333100101500.400829186.220425782191451601181095.261.51
2011 3332000111100.500837190.11903183291732501151095.151.43
2012 PIT 3131110161000.615851202.118918621918010086793.511.24
2013 3030100101100.476801191.016511673920912079703.301.21
2014 PHI 343410081800.308935213.22052096216190901221094.591.41
2015 PIT 26260009700.563699164.017411492111436164583.181.36
MLB:17年 4354302410216415700.511116652731.1251926311003514325191616132812103.991.32
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年度別守備成績

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投手(P)












1999 FLA 72510.875
2000 132811.909
2001 27112720.950
2002 31121943.886
2003 434001.000
2004 201018001.000
2005 32111821.935
2006 TOR 2161612.957
2007 25171522.941
2008 35182971.870
2009 NYY 3352030.893
2010 3391641.862
2011 33102352.868
2012 PIT 31213611.983
2013 30121920.939
2014 PHI 3492511.971
2015 PIT 26112031.912
MLB 4351693183916.926
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タイトル

記録

背番号

  • 43(1999年 - 2001年)
  • 34(2002年 - 2015年)

脚注

関連項目

外部リンク

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