ブーム・バップ
ヒップ・ホップのサブジャンル
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ブーム・バップ(英: Boom bap)とは、1980年代後半から1990年代初頭にかけてアメリカ東海岸(イースト・コースト・ヒップホップ)で主流となったヒップホップのサブジャンル[1]。「ブーム・バップ」という名称は、バスドラム(キック)とスネアドラムの音を模した擬声語に由来し、ダウンビートで力強いバスドラムのサンプルを、アップビートで歯切れの良いスネアドラムのサンプルを鳴らすドラム・ループを基調としている[2][3]。日本では、ブーン・バップとも表記される[3]。
| ブーム・バップ | |
|---|---|
| 語源 | バスドラムとスネアドラムの音を模した擬声語 |
| 様式的起源 | イースト・コースト・ヒップホップ、ハードコアヒップホップ |
| 文化的起源 | 1980年代後半から1990年代初頭のアメリカ東海岸 |
| サブジャンル | |
| ジャズ・ラップ | |
歴史
誕生と発展


DJプレミアとピート・ロックがブーム・バップを代表する最も有名なプロデューサーとして広く認知されている[4]。DJプレミアはブーム・バップの誕生において「『力強さ』や『パワー』という概念が重要な鍵を握っていた」「ドラムは強烈なインパクト(パンチ)がなければならない」と語っている[4]。典型的なブーム・バップのビートは4分音符のループで構成され、1拍目と3拍目にキック・ドラム、2拍目と4拍目にスネア・ドラムが配置される[1][5]。ヒップホップ黎明期のほぼ全てのヒップホップトラックはブーム・バップに該当する[3]。
1984年にブロンクス出身のラッパーであるT La Rockが自身の楽曲「It's Yours」におけるキックとスネアのビートを「ブーム・バップ(boom bap)」と表現したことが擬声語で表現した最初の記録とされている[6]。DJプレミアは、「It's Yours」が制作される以前からブーム・バップのスタイルは存在していたと指摘し、「ブーム・バップ」という言葉はヒップホップ・コミュニティ全体においてヒップホップそのものやそこで用いられるビートを指す用語として使われていたと話している[4]。
ダイアモンド・Dはブーム・バップについて「それは生々しく、荒削りで、洗練されすぎていないヒップホップであり、通常はDJによるスクラッチが取り入れられている」と語っている[4]。ブーム・バップにおけるスクラッチは、ビートの流れを断ち切ったり、複雑さを加えたり、楽曲のブリッジを構築したりする役目を担った[7][8]。これは楽曲やラップバトルにおける「ブレイク(間)」として効果的であった。スクラッチ・フックはサンプリングの手法の1つとして用いられることもあり、DJプレミアの楽曲ではボーカルを用いたスクラッチ・フックが頻繁に見られ、これをコーラス部分にしばしば取り入れていた[9]。
ブーム・バップ初期の楽曲では、キックドラム、力強いスネアドラムの生音あるいはレコードからサンプリングされた音が使用されていた[10]。マーリー・マールによるサンプリングの発明を経て1980年代に人気が出始め、ブーム・バップのビートはDJプレミア、ピート・ロック、ラージ・プロフェッサーらが築いた「ゴールデンエイジ・ヒップホップ」の代名詞とも言える存在となった[3][11]。テンプル大学アフリカ系アメリカ人研究学科のTimothy N. Welbeckは「『ブーム・バップ』特有のリズム・フレーズが持つポリリズム的な要素は、1980年代後半のニューヨーク・ラップ・ミュージックにおける定番のスタイルとなった」と述べている[12]。一方で、メインストリームのポピュラー音楽チャートでの認知度は限定的であり、どちらかと言えばアンダーグラウンドな音楽として存在していた[13]。
アメリカ西海岸のヒップホップ・シーン(ウエスト・コースト・ヒップホップ)が滑らかさや洗練された雰囲気を特徴としていたのに対し、東海岸のブーム・バップは、硬質で鋭いサウンドや力強いビートを重視した[14]。余分な要素を削ぎ落としたビートの荒々しさと、歌詞への強いこだわり、ビートを最大限に引き立てるように構成されたラップを打ち出すことでブーム・バップが定義されていった[5][15][16]。
当初はビートのシンプルさが重視されていたが、発展するにつれて電子サンプラーやビートメイカーを用いてビートが作られるようになった[17]。電子楽器が導入された主な目的は、単調なビートの繰り返し作業を制作プロセスから排除することにあった。これにより、ラッパーは歌詞やメッセージを伝えることに集中するようになった[4]。
次第にさらに発展させるために、より多くの打楽器音が取り入れられるようになる。特にハイハットが使用され、その他にはシェイカー、タンバリン、ボンゴ、カウベルなどが使用された[18]。プログラマーはデジタル・サンプリング・シンセサイザーを駆使し、サンプリング音を複雑に重ね合わせて多層的なドラムビートを構築するようにもなっていく[19]。
ブーム・バップの歌詞は内省的で会話的、生々しく直接的、マッチョで支配的など、さまざまに特徴付けられている[18][5][20]。ギャングの暴力、社会的ネグレクト、ジェントリフィケーション、麻薬、富、セックス、隔離された地域での生活など、1980年代から1990年代のアメリカ東海岸におけるアフリカ系アメリカ人の社会経験を反映するトピックに焦点を当てていることが多い[6][21]。「攻撃的」および「ストリートスタイル」を特徴とするハードコアヒップホップと混同されることがあるが、ブーム・バップは歌詞の内容よりもビートの聴覚によって特徴付けられる[22][19]。
ブーム・バップのラッパーはキャッチーまたは商業的なサウンドを避ける傾向があった[5]。そのため、コーラスや音響的なクライマックスを設けないことが多く、その代わりにストーリーを語ったり、選択したトピックについて聴衆と議論したりする手段として歌を使用している[1][6]。
KRS・ワンによる普及
1990年代初頭に全盛期を迎え、KRS・ワンが1993年にアルバム『Return of the Boom Bap』を発表したことでサブジャンルとしてのブーム・バップの知名度が高まり、「ブーム・バップ」という言葉も広く普及することとなった[3][22][23]。
KRS・ワンはブーム・バップを以下のように説明している[4]。
「ブーム(boom)」はキックドラムを、「バップ(bap)」はスネアドラムを指します。ブーム・バップとは、ドラムの音が極めて強調され、時には誇張や歪み(ディストーション)さえ加えられる音楽スタイルです。しかし、このスタイルは単にドラムを歪ませるだけのものではありません。楽曲の構成そのものに、力強い行進曲のような、推進力に満ちたドラマチックなリズムが息づいているのです。

また、ブーム・バップはDJやラッパーが十分な録音機材を持たず、他のアーティストの楽曲の断片的な音源を寄せ集めて音楽を作らざるを得なかった時代背景があったと話し、これをヒップホップの本来のあり方とした上で、「ブーム・バップの精神とは、最小限の楽器を使って、最大限のリズミカルなサウンドを生み出すことにあるのです」と語った[4]。
ブーム・バップは大西洋を渡ってヨーロッパの音楽シーンの一部にも浸透していき[23]、1990年代後半になるとキャリア初期のカニエ・ウェスト、J・ディラ、ジャスト・ブレイズなどが「ブーム・バップ」を継承した[3]。また、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、東南アジアの音楽シーンにも大きな影響を与えた[24]。なお、ロンドンの音楽シーンでブーム・バップは、「力強いバスドラム」と「切れ味鋭いスネアドラム」で知られているが、一般的にはオールドスクール・ヒップホップの楽曲と関連付けられることが多い[25]。
「オン・ビート/オフ・ビート」の感覚を取り入れたブーム・バップは現代のヒップホップやラップ・ミュージックの基礎となる要素を提供したスタイルとして広く認識されている[11][26]。そのシンプルなスタイルゆえに、適応させやすく、アーティストが自身の個性を作品に反映させることも容易となっている[11]。
トラップの流行におけるブーン・バップの境遇

2010年代中盤にトラップが流行すると、「ブーン・バップ」は保守的かつ懐古主義的なものとして捉えられるようになる[3]。一方で、J.コール、ラプソディー、ジョーイ・バッドアスなどは、歓迎されていない時期において「ブーン・バップ」を継承して活躍した[3]。フリージャーナリストのPhillip Mlynarは、2013年にブーム・バップの現状について以下のように語った[4]。
昨今、「ブーム・バップ」というレッテルは、どちらかと言えば皮肉や批判を含んだ言葉として使われるようになっています。この言葉はしばしば、東海岸のヒップホップに対して「時代遅れ」であり、「過去の栄光にしがみついている」というニュアンスで用いられるのです。一方で、ジョーイ・バッドアスや彼が率いるイースト・フラットブッシュ拠点の集団『プロ・エラ(Pro Era)』の音楽を評する際には、より好意的な意味でこの言葉が使われています。
ブーン・バップにおけるサンプリング


楽曲のリズムに要素を加えたり、サウンドに多様性を持たせたりする目的でサンプリングが使用されている[27]。最も一般的に使用される電子サンプラーにAkai MPCやE-MU社製のSP-1200があり[1][27]、ダイアモンド・Dは愛用していた機材としてSP-1200、MPC-60、Akai S900を挙げている[4]。
音色は「強調されたキック・ドラムの低音域(ローエンド)と、力強いスネア・ドラムの存在感」によって生み出されている[6]。ビートの構成は単発のドラム音やパーカッション楽器による短いフレーズの断片を組み合わせたものとなっている[10]。楽曲に強烈なサウンドを加えたい場合はシンセサイザーが用いられることがあり、サブ・シンセシス(低音域を補強するシンセサイザー)を加えることでベースの振幅(音量感)が増し、キック・ドラムのサウンドを強化させている[19]。こうした特性はヒップホップ特有の粗削りで力強いスタイルにおいて好まれる要素であった。
より複雑なサウンドを生み出すために、正確なタイミングのビートとタイミングをずらしたビートとの比率を調整する「スウィング・クオンタイズ(swing quantization)」という手法が用いられている[6]。アナログ・パーカッションの音を意図的に遅らせることで「オン・ビート(拍の頭)」の正確さを保ちつつ、「オフ・ビート(拍の裏や中間)」をわずかにずらすことが可能となる[28]。Akai MPCシリーズなどの電子サンプラーでは、クオンタイズ・アルゴリズムを駆使することで演奏のタイミングを編集することができ、サンプルを伸縮させたり、場合によってはビートを直接操作して完璧な同期を図ったりすることもある[29][30]。LL・クール・Jの楽曲「Around the Way Girl」では、メリー・ジェーン・ガールズの「オール・ナイト・ロング」を早回ししてピッチを上げたサンプリング音源が全編を通して使用されており、この手法は後にカニエ・ウェストなどが取り入れるようになった[31][32]。
かつては、電子サンプラーの導入によって機械的な要素が持ち込まれたという見方が一般的であった[17]。これに対し、人間味のある雰囲気を維持するためにMPCやSP1200などのドラム・タッチパッドが活用された[33]。これにより、アーティストは楽曲のフィーリングやリズムに合わせて最適なタイミングでサンプルを入力できるようになった[33]。タッチパッドの導入により、「単なるタイミングだけでなく、アクセントやベロシティ(強弱)の変化」といった要素にもニュアンスを加えることが可能となった[6]。
アメリカをはじめ世界各国で著作権法が厳格化されるとともに、他者の作品を基にしたサンプリングの使用が困難となっていった[34][35]。大手レコードレーベルに所属するアーティストの中には他者の作品の使用料を支払うことができる制作予算を持つ者もいるが、こうした状況は独自に行われる音楽制作を制限することになり、より手軽に楽しめる形のヒップホップへと目を向けるようになった[34]。アーティストたちは経済的リスクやキャリア上のリスクを理由にサンプリングを敬遠するようになり、楽曲制作においてサンプリングは創造性にも影響を与える可能性があるため、音楽業界全体で新たなコンテンツへの需要が高まっている[36]。